好事家同士の、密かな楽しみ。
第七話
1限目の授業時間中の屋上。
生徒などいるはずもないそこで、妙に熱のこもった会話が繰り広げられていた。
「そうっ、そうなのよ!原作小説もいいのよ、イージスは!!」
「ホンマ凄いもんな、アレ。めっちゃ男泣きしたわ」
「私もメチャクチャ泣いた!」
が給水塔の上に居た忍足を見つけてすぐ、彼女は給水塔に昇る羽目になった。 「ココで映画の話しでもしませんか、お嬢さん」という、忍足の魅力的な提案に乗ったからである。
「防衛庁との駆け引きじみた遣り取りもたまらんかったやろ?」
「そりゃあ、勿論ですとも!・・・・っていうかホント何で忍足くん、私のツボをピンポイントで心得てる訳!?」
「ハハッ、そりゃ多分、俺とさんの趣味が似てるからやないか?」
快活に笑う忍足に対し、は不服そうな顔をしてポツリと呟いた。
「・・・・・私は脚フェチではないですけど?」
「何や、遠回しに俺に脚の魅力について語れっちゅーとるんか?」
「違いますー。・・・・・っていうか何でそうなるの!」
「せやかてそう聞こえてん・・・・」
忍足が肩を竦めながら言葉を紡いだと同時に、
キーンコーンカーンコーン・・・・・。
1限目終了を知らせるチャイムが鳴り響いた。
「さすがに次もサボるんはあかんわな」
肩を竦めたまま器用にスクッと立ち上がり、お尻をハタきながら忍足が言った。 もそれに倣い、立ち上がる。
「私も体育だから出ないと・・・・」
「ああ、そう言えばこの前言うとったな、2限移動やーって」
忍足の言葉にふと、忍足と話すようになって一週間が経ったのだと気付き、は驚いた。 そして、同時にもう一つの事柄にも思い当たる。
―――しまった、岳ちゃんへの差し入れ忘れてた!
一週間前、岳人への差し入れにと作った蜂蜜レモン水は、成り行きで忍足の胃に収まってしまった。 仕方がないので、は岳人へ「差し入れは明日にさせてくれ」という旨のメールを送ったのだが、
やっば。明日とか言っといて、もう一週間近く経ってるじゃない・・・・・! 模倣動作的に忍足に続いて給水塔を降りながらも、頭の中が軽いパニック状態のままだ。
嫌だな、岳ちゃんも言ってくれればいいのに。・・・・・やっぱり怒ってるのかな? そういえば、最近、岳ちゃん家にご飯食べに来てないし・・・・・・ど、どうしよう!
何をどう考えても、岳人が怒っているとしか思えず、は授業に身が入らなかった。 体育ではバスケットボールで敵にパスをする。 ノートを取る授業ではノートを取ってただけで、先生の説明はサッパリ覚えてない・・・・ というような具合で、表には出ないものの、内心ではしっかり動揺していた。 そんな状態だったものだから、岳人が久々に家の夕食時のリビングに現れた時、は安堵で胸が一杯になった。
「岳ちゃん!・・・・・久しぶりだねぇ」
「おう」
片手を挙げながら挨拶をする岳人に、はますますホッとした。 よかった、いつも通りだ。
「何だよ岳ちゃん、言っとくけど今日は俺の分の夕飯食わせねぇかんな!」
「わーってるって、兄ちゃん」
珍しく夕食時に帰ってきた兄が、強い口調で岳人に言う。 この前岳人に夕食を盗られたことを、未だに根に持っているらしい。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。今日はカレーだもん」
苦笑したが「ご飯なら冷凍もあるし」と続けると、やっと納得したらしく兄はソファーで 岳人とじゃれ始めた。 家の男と向日家の男――要はの兄と岳人と岳人の弟な訳だが――は、やたらと結束力が強い。 その結束力の堅さには、も岳人の姉も、呆れてしまう程である。
――――――・・・・・・・・♪~~
突如、人気歌手の代表曲のサビが流れ出す。 若くして、短すぎるその生涯を終えてしまった、天才と呼ばれた女性歌手。
「・・・・・・あっ、悪ィ。携帯に電話かかって来ちまった」
「いいよいいよ。―――へぇ、兄ちゃん着信みなもと雫にしてんだ?」
隣室から鳴り響く人気歌手の着うたに誘われ、兄がリビングから出て行く。 やがて、兄が着信に応答したのか、着うたがそこまでの設定なのか、はたまた相手が諦めたのか。 もしくは留守番電話サービスに繋がったのか。 突如、歌は途切れた。 そして、それを合図にするかのように、は岳人に話しかけた。
「岳ちゃん、ご飯食べていくの?」
「俺の分があるんならな」
「なぁに、その言い方。お兄ちゃんだけじゃなくて岳ちゃんまでこの前のこと根に持ってた訳?」
この前、兄の分の晩ご飯を食べた岳人は、帰宅した兄から強烈なラリアットを喰らったのである。
「ちぇーっ。兄ちゃん、マジ容赦ねぇんだもんなぁ・・・」
痛みを思い出したのか、首筋をさする。 そんな岳人を笑いながら、はタイミングを計っていた。
忘れてるのか、忘れたふりをしてくれているのか。 どちらにせよ、約束を破ったことは謝らなければならない。
「が、岳ちゃん?あのね・・・・・」
「そーいやぁ、侑士にのメアド教えちまったんだけどさ、別に良いよな?」
「え?」
「やっぱ何かマズかったか?が俺に訊けって言ったって侑士は言ってたんだけどさー」
「あ、ううん。いいのいいの。私、忍足くんに確かに岳ちゃんに訊いてって言ったから」
「そっか」
「うん・・・・・・」
出鼻を挫かれ、は何となく押し黙ってしまった。 岳人も特に言葉を発そうとはせず、二人の間を沈黙が流れる。
気まずい、なんて思ってるのは私だけか・・・・・。
ソファーの上にあった兄のメンズ雑誌を見ている岳人を見ながら、は小さく溜め息を吐いた。
「お、忍足くんって面白いね」
「あ?」
なんだよ急に、と訝しげにする岳人に焦りを感じつつも、は続けて言う。
「最近忍足くんと話すようになったんだけどね、意外と趣味が合うんだよ?私たち」
「―――へぇ?まぁ確かに、侑士はすっげぇ面白ぇ奴だわな。クールなフリしてポソッと面白ぇこと言いやがんの」
・・・・・あ。
そんな物があるのかは知らない。言うならば 「幼馴染みの勘」 という物だろうか。 ともかく、は岳人の微妙な感情の変化に気付いていた。 表面的には平素で、の意見に同意している。―――だけれども。
岳ちゃん、今不機嫌だ。 やっぱり蜂蜜レモン水のこと、覚えてたのかな。 でも、お兄ちゃんのラリアットが原因かもしれないし・・・・。
ううん、違うな。あの時、岳ちゃんは普通だった。
・・・・・じゃあ、一体何が? 岳ちゃんは、どこら辺から不機嫌になった? グルグルと思考が上手く定まらない頭で、必死に考える。
何の話をしてた? ・・・・・・そうだ、忍足くんの―――。
「忍足くん・・・・・」
頭の中で思っただけのつもりが、音となってポツリと口から飛び出した。
「なんだよ。侑士がどーかしたのか?」
「あ、ううん。違うの。間違えちゃっただけ・・・・」
「・・・・・はぁ!?」
自分でも訳の解らない言葉のキャッチボールを岳人と行いながら、は焦燥に駆られていた。 自分でも、苛つく理由がよく解らないのにも関わらず。
ブルリと頭を左右に振って、無理矢理明るい声を腹部から絞り出す。
「そんなことより岳ちゃんさ、約束してから随分時間経っちゃったけど、蜂蜜レモン水の差し入れ、明日しようかと思うんだけど」
どうかな、と小首を傾げながら問うと、岳人が跳ね上がるようにの方へと振り向いた。
「マジで!?おっしゃー、大歓迎だっつーの!」
白い歯がよく見えるくらい、大口を開けて笑う。
「遅くなっちゃったお詫びに、多目に作ろうか?」
「おっ!いいね、いいねぇー。作ってみそ?」
ピョコピョコ飛び跳ねながら、
「俺、作ったの蜂蜜レモン水、大好物!!」
ニッコリ笑顔と共に、を喜ばせる魔法の言葉を言う。 そう、これは魔法の言葉だ。 現に、イライラ、どっかに行っちゃったもん。
岳人の言葉の力を借りて、焦燥感を薙ぎ払う。
うん、もう大丈夫だ。モヤモヤしてない。
胸のつかえが取れたようで、は胸を撫で下ろす。 途端に、頭の中がクリアになる。
そのオマケのように、岳人を不快にさせた原因さえ、頭の中から綺麗に消え去っていた。
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