嫌よ嫌よも好きのうち?
第二話
ああ、暑い。
は顔をしかめながら学校へ向かっていた。
季節は初夏。例年ならまだクーラーはいらないはずだが、どういう訳か今日は辟易するほど暑い。バッグの中の水筒の重みが暑さにさらに拍車をかけている気がする。
ヤバイ、他に誰も歩いてないよ・・・遅刻かも。っていうか、岳ちゃん、朝練大変だろうな・・・。
ぼんやりとそんなことを考えながら歩いていると、角を曲がった折に、見覚えのある背中が視界に飛び込んできた。
忍足侑士。
見間違うはずもない、独特の居住まいと岳人と同じレギュラージャージ。 襟足の長い髪。ロードワーク中なのだろうか、小走りだ。
忌々しい。
内心、軽く舌打ちしながら忍足の背中を睨み付けた瞬間、忍足がフラリとしゃがみこんだ。
「!?」
は驚愕し、睨み付けただけなのに呪いをかけたような罪悪感を感じ、慌てて忍足に駆け寄った。一瞬ためらい、
「お、忍足くん?どうしたの」
ぎごちなく問うと、忍足が顔を上げた。
あぁ・・・さん、と呟き、額を右手で覆う。
「あー・・・アカン。クラクラするわ」
「ちょっ・・・、大丈夫!?脱水症状おこしてるんじゃ・・・」
「否、今日寝坊してもうて朝食食いっぱぐれてん。多分そのせいやろ。軽い貧血や」
左手を振りながらなんでもあらへん、と続ける。 は目を丸くした。
「はぁ!?・・・信じらんない。一応スポーツ選手の癖に・・・」
「ツッコミ、はぁー・・・。意外と、厳しいなぁ、さん」
とぎれとぎれに話す忍足の顔色は悪い。顔面蒼白とは正にこのことを言うのだろう、という位に青白い。
「・・・っ、」
は一瞬躊躇ってから舌打ちし、下唇を噛んでバッグをまさぐった。
「ハイ、これ飲んで」
岳人へのささやかな嫌がらせにと選んだピンクのファンシーな水筒を取り出し、コップに蜂蜜レモン水を注ぎ、忍足に差し出す。
「蜂蜜レモン水だから、スッキリすると思うよ」
「否、でも、・・・悪い・・・」
「酷い顔色してる癖になに遠慮してんの!具合悪いんだから素直に人の好意に甘えなさいよ!!」
軽く苛立ちながら言ってやると、忍足は目を丸くし、
「・・・おおきに」
微かに微笑みながらコップを受け取った。
「・・・口に合うかは解らないけど」
憮然としたの言葉と共に、忍足の喉がゴクリという音をたてた。 あっという間にコップが空になる。
「うまいわ・・・」
「それはよかった。・・・もっと要る?」
「すまん、頼むわ・・・」
「これからはちゃんと、ご飯食べてきなよ? スポーツ選手は体が資本、でしょ?」
コップを差し出しながら忠告してやると、忍足は力なく笑いながら
「せやな」
と、力なく頷いた。
忍足が4杯目の蜂蜜レモン水との昼食になるはずだった3つのおにぎりを腹に収め終えた折。
キーンコーン、カーンコーン・・・――朝礼の始まりを告げるチャイムが鳴り響いた。
「・・・あ」
「すまん・・・。俺のせいやな」
「いいよ別に。元々遅刻ギリギリの時間だったし。この際だから1限もサボることにするわ。嫌いな英語だし」
「さよけ」
しゃがんだ忍足の横の、ちょっとした段差に器用に腰掛けながら、は内心驚いていた。―――あんなに嫌いだったのに、なんてことないや。
は忍足を誤解していたのだと気付き、自分の浅はかさを恥ずかしく思った。 実際コミュニケーションを取ってみると、忍足は別に嫌な人間ではないようだった。 ―――なんて言うか、「食わず嫌い?」。感覚としては、それが一番似ているように思えた。
「向日くんって、ダブルスのパートナーとしてはどう?」
「ん?あぁ・・・。オモロイで」
「目の前でピョンピョン跳ばれるのウザくない?」
の言葉に忍足は目を丸くし、それから声をあげて笑った。 低いテノールが震えるように辺りに響く。
「ははっ、毒舌やなぁ、さん」
「そう?小学校の時に、向日くんにドッヂボール中に目の前でピョンピョンやられてウザかった記憶があるんだよね、私」
「ほぉ?」
「味方だったけど後頭部にボールぶつけてやろうかと思うくらいウザかった」
「酷いなぁ・・・」
「・・・・で、忍足くんはウザくないの?」
「始めは気になっとったけど、今はもう慣れとるからなぁ」
「ふぅん」
「さん、岳人が好きなんやろ?」
不満そうなに忍足は苦笑しながら問いかけた。
「好きだよ?」
さらりと即答してみせると、忍足は 「随分あっさり答えるなぁ」 と、意外だと言った。
「告白せぇへんの?」
不躾な質問に、はキョトンとしてから
「・・・あぁ、そっち?」
不快そうに眉根を寄せて呟いた。
「好き、って言ってもラブじゃないよ。ライクの方」
「・・・ほー?」
「・・・何よ、その目は。言っとくけど、私は向日くんと元彼女のキューピッド役を努めたことがあるんだからね!」
「そうなん?なんや、つまらん」
その答えに、忍足はあっさりと引き下がる。 はつまらない嘘を吐くタイプには見えないから、 多分本当なのだろうと判断したのだ。
「そう。家族みたいなもんだから、ゴシップのネタにもならないわ」
が暗に先週、跡部の新しい彼女として新聞部に散々追い回されていたサッカー部のマネージャー のことを言っているのだと気付き、忍足は苦笑した。 はブラックユーモアが好きらしい。
「向日くんが準レギュラーになったときは大変だったけどね。皆して変に勘ぐるんだから。特に男子テニス部ファンの女の子たちの恐ろしさったら最悪だった」
「女の一致団結は恐ろしいからなぁ」
己の経験からしみじみと頷いてみせると、も深く頷いた。
「まったくよ。向日くんが平部員のときは見向きもしなかった癖にさ」
「ま、そんなモンやろ」
「そーね。せちがらい世の中よ、まったく」
やれやれ、という調子でが言うと、忍足は小さく苦笑した。
「せや。さんに、なんかお礼せぇへんとあかんな」
「いいよ、そんなの」
「アカン!女の子に助けられといてお礼せぇへんなんて、俺の紳士道に反するわ」
忍足は力強く、力説し、
「映画のタダ券あんねんけど、よかったら行かへん?」
にこやかな微笑と共に、そう言った。
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