そう、世界の中心はいつだって男の子なのだ。
第一話
「・・・・・でさぁ、そん時の侑士の顔が傑作でよぉ」
目の前の、満面の笑みで話す幼馴染みが憎たらしい。
大体どうしてコイツがうちで晩御飯を食べているんだ、とは思う。 しかも、彼が食べているのはの兄の分の晩御飯だ。
後で怒られても知らないからね。――鬼のように怒る兄の姿が目に浮かび、は小さく溜め息を吐いた。
「おい、。聞いてんのか?」
「聞いてますよ、岳ちゃん」
「ホントかぁ?」
疑惑の目を向ける岳人に小さく肩を竦めてみせる。
ここ最近、岳人の話は忍足侑士一色で、はそれが嫌だった。なんだか寂しい感じがするのだ。
「っつーか、岳ちゃんって呼ぶなよ」
「どうして?」
「学校の奴らにバレたら恥ずかしいだろ」
「学校ではちゃんと岳ちゃんじゃなくて向日くん、って呼んでるじゃない」
「そうだけどよぉ、がいつ学校でうっかり呼ぶとも限らないじゃねぇか」
普段から向日くんにしといたほうが安全だろ、と素っ気なく言う。
「嫌。もう慣れちゃってるもん」
それに岳ちゃんは岳ちゃんでしょ、と反論すると、岳人はちぇー、と呟き
「侑士の言った通りだなぁ」
「・・・・・なんでそこに忍足君が出てくるのさ」
「ん?侑士にが岳ちゃんを止めてくれない、って相談したからだよ」
「・・・・・ふぅん」
「で、多分無理やと思うでって言われたんだよ、そん時。な?侑士の予想、見事的中!」
「・・・・・そうだね」
相槌を打ちながら、は溜め息を吐いた。――岳ちゃんは本当に鈍い。
岳ちゃんは忍足侑士が大好きだ。でも、私は忍足侑士が好きじゃない。 私の居場所を盗っていくから。
深い溜め息を吐く。男に生まれたかったと、どうしようもないことを願った。
小さい頃、女だというだけで仲間に入れてもらえないことが多かった。
『お兄ちゃん、どうして私はダメなの?』
『が女だからだよ』
『いいじゃん、も仲間に入れたげようよ』
『ダメだって、岳ちゃん!』
岳人がを仲間に入れようとしてくれたが、兄の猛烈な反対にあい、結局仲間はずれになった。 でも、今思えば兄の行動は正しかった。
男の子のグループというものは、一人の女の子によって機能が崩壊してしまう可能性が高いからだ。 考えてみると、岳ちゃんは昔っから鈍かったんだなぁとは苦笑した。
「なに笑ってんだよ」
「違うよ、ただの思い出し笑い」
「うっわー、思い出し笑いする奴って・・・」
「知ってるよ。エロいって言うんでしょ」
「え?ハゲるんじゃねぇの?」
「そうなの?」
「うーん。ハゲるんならエロい方がマシだよなぁ・・・」
「何を真面目に考えてるのさ・・・。どっちだって嫌でしょうが」
うーん、とうなる岳人の表情は真剣そのものだ。
「明日、侑士に聞いてみっかなー」
「え!・・・・・止めなよ、くだらないって笑われるのがオチだよ」
「解んねぇだろ、そんなの」
プク、と頬を膨らませた岳人に、は相変わらず反応が女の子みたいだなぁという感想を抱いた。 もちろん、言うと怒るので言わないが。
「岳ちゃんは本当に忍足くんが好きなんだねぇ」
「?・・・あぁ、好きだぜ。俺のこと一番解ってくれてるのって侑士だし」
「・・・そぉ」
私だって、岳ちゃんのこといっぱい知ってるのに。 ――くだらないとは思うものの、は忍足に嫉妬せずにいられなかった。
の方がずっと昔から岳人と一緒にいるし、誰よりも岳人のことを理解している自信がある。 ――忍足くんなんか、所詮中学からの付き合いじゃない。
思い返せばの居場所は忍足にどんどん浸食されている。
登下校時に岳人の傍らにいたのは、忍足が転入して来る前まではだった。
岳人が悩みを一番最初に打ち明けるのも、忍足じゃなくだった。
それに、お弁当を一緒に食べなくなったのは、忍足が来てからだ。
やっぱり忍足侑士は好きじゃない。
一年の時に、岳人に「好きな子ができた」と言われたことがあった。 のさり気ない手助けのお陰で岳人はその子と付き合い始めたのだが、その間は岳人がその子と別れるまでの半年間、登下校を共にしない時期があった。 ――あの時は平気だったのに。 あの時は、岳人のことを一番解っていて、岳人が一番頼りにしているのはのはずだった。
が十数年という歳月をかけて培った岳人の隣という居場所。 忍足はそれを瞬く間に奪っていった。
『、明日から俺、侑士と学校行くから』
突然言われた、残酷な言葉。 お前はいらない、と言われたような錯覚に陥った。――だから、忍足侑士は好きじゃない。
「そうだ。、明日さぁ、蜂蜜レモン水差し入れしてくれよ」
「え?」
「だーかーらーっ、蜂蜜レモン水だって!」
「・・・何で」
岳人はよく、話を飛躍させる。 長年の付き合いですっかり慣れっこのはずなのだが、やはり突拍子もなさすぎて呆れてしまう。
「美味いじゃん、蜂蜜レモン」
「購買でなっちゃんの買えばいいじゃん・・・・・」
「え!?なっちゃんって、蜂蜜レモン水あんのか?」
「昨日購買にあったけど・・・・・」
「マジで!?知らなかった・・・って、そんなんいいんだよ!俺はの特製蜂蜜レモン水がいいの!!」
「特製って・・・。あんなの水に絞ったレモンと蜂蜜混ぜただけだよ」
どうでもよさそうに言うと、岳人はムッとしたように顔を強張らせた。
「俺の好きな物、あんなのって言うなよなー」
岳人はわざとらしく盛大に溜め息を吐いてみせると、
「俺はが作った蜂蜜レモン水が飲みてぇの!」
真剣な目をして言った。
「ッ・・・・・!」
岳ちゃんは本当に私を喜ばせるのが上手い。 はそう思う。他人から見れば本当に些細な、どうでもいいことだろう。
でも、にとってはとても嬉しいことなのだ。
「解った」
「ホントか?」
「うん」
「約束する?」
の顔前に、岳人の小指が差し出される。
「あはは、ハイハイ」
小指を絡ませて歌う。
ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます。
「ゆーびきった!」
岳人が高らかに言う。
岳ちゃんと一緒にいるということは、いつまでも子どものままだということと同じだ。 ――私はまだ、大人になりたくない。―― 友人の中には早く大人になりたいという少女も多いが、は逆だった。 人間の一生の中で、子どもでいられる時間は本当に少ないからだ。 それに、嫌でも生きていればいずれ大人になる。 子どもでいたい、という気持ちは遅い初潮により、女特有の鈍い痛みを知ってからますます強くなっている。
だから、まだ岳ちゃんの傍にいたい。 は強くそう願う。それが、どこか屈折した奇妙な願いであることを知りながら。