火曜日の部活は自由参加である。
だから、端から出る気はなかった。昨日あんな気不味いことがあったのだ。 何食わない顔で謙也先輩に会える程、私は大人じゃない。
第二話:イツモ、モドカシイ
「そーいうモン」に興味があって当然、それでいて健全。そんなことは解っている。―――でも。見ても良いけど、個人の自由だけど―――あぁ、もう!考えれば考える程、「桃色天国」が頭をグルグル回って。何でこんなこと考えなきゃいけないんだ、と泣きたくなる。今日は一日ずっとこんな調子で、授業にちっとも身が入らなかった。――それもこれも、全部謙也先輩のせいだ。
天気予報通り、今日は生憎の雨だった。しかし、火曜日の部活内容は、渡邊先生によるボケ講座という名のミーティング。雨でなければ、ミーティングそっちのけで各々コートで自主練習をしていたりする。要するに火曜日の部活は、常に雨天決行。天気など関係ないのだ。
「あ~ら、ちゃん!どこ行くん?」
帰ろうと、昇降口に向かって歩いていたところを、金色先輩に捕まってしまったのが運の尽きだった。「否、そのぉ・・・・・」と何とか誤魔化そうとしている私を余所に、「そっちは部室の方向じゃないわよ?」とスルリと腕を絡めてくる。猫のようなしなやかさを持ったそれは、まさに早業だった。
「ま・さ・か。帰ろうとしてたんじゃないわよね~?」
眼鏡を光らせるようにして不敵に笑う金色先輩に曖昧に、笑う。完璧にお見通しなのだ。「今日は楽しい部活よ」と金色先輩が絡めた腕を引っ張る。
「さ、行きましょ―――今日は新ネタの発表があるのよ。渾身の作品だから、期待してて頂戴」
ニコニコと上機嫌な金色先輩に引き摺られるように、部室へと移動する。金色先輩には敵わないことは百も承知なので、大人しく腹を括り――謙也先輩が部活に参加しないことを祈るばかりだった。
願いも空しく、部室内にはバッチリ謙也先輩の姿があった。ですよね、レギュラーは部活休まないですもんね―――などと思いながらも、金色先輩に誘われるがままに部室へと足を踏み入れる。引っ張られ、ヨタヨタと乗り気でない歩調で部室へ入って直ぐ、スパーン!と側頭部を叩かれた。
「―――アイタッ!」
「キャアッ、ちゃん大丈夫!?」
「ちょっとユウくん、女の子に何てことするのよ!」と、叩かれた部分をさする金色先輩の言葉に、あぁ、叩いたのは一氏先輩なのか―――とぼんやり思う。死角から叩かれた為に、誰にやられたのか解らなかったのだ。ソロリと振り返ると、プルプルと怒りに震える一氏先輩の姿があった。
「ゴルァ、ォ!お前、何で俺の小春と腕組んで登場してんねん!」
唾を飛ばしながら叫ぶ一氏先輩に、溜め息を吐く。案の定というか、「何溜め息吐いとんじゃボケェ!」と怒声を浴びせられた。この人は、何故か私に厳しくあたる。
「・・・・・・別に私から組んだんとちゃいますよ。金色先輩が腕絡めてきたんですもん」
「何ィ――――!?ホンマか、小春ぅうぅ!」
「ちゃんの言う通りやけど?」
瞠目する一氏先輩の言葉をあっさり肯定し、なおかつ「大丈夫、ちゃん?未だ痛いかしら?痛いの痛いの、飛んでいけ~」なんて言って、わざとらしく私の側頭部をさすり続ける金色先輩。そんな愛しの君を見ながら、一氏先輩はハンカチを噛み千切りそうな勢いでギリギリと歯を鳴らした。
「は――な――れ――ろ――!!俺の小春からさっさと離れんかい!!」
何とか金色先輩から離そうと、一氏先輩が私の左腕をグイグイ引っ張る。しかし、金色先輩が私の右腕に自分の腕を絡ませている為、金色先輩から離れることが出来ない。
「痛ッ・・・いだだだ!こ、金色先輩に離れろ言うて下さいよ!」
「じゃかあしい!お前が離れろ!」
「無理言わんといて下さい!痛い痛い痛い!!」
「無理やない!人間無理言うた瞬間無理になるんや。出来る思えば何でも出来る!彼の大統領も言うとったやろ、Yes, we canて!」
そんな滅茶苦茶な、と途方に暮れていると、パンパンと小気味良い手拍子が鳴り響いた。音がする方へ目を向けると、にこやかな微笑を浮かべた白石部長が居た。
「漫画みたいでオモロイけど、その辺にしとき」
有無を言わさぬ迫力を持った笑みに勝てる者は誰もいない。その証拠に、いつの間にか金色先輩と一氏先輩は私の腕を解放していた。金色先輩など、「私は関わっていませんでした」と言わんばかりに、素知らぬ顔をして石田先輩と談笑している。要領いいんだから、と金色先輩を軽く睨む。すると、先輩がこっちに気付いて奇声を上げた。
「いやーん!ちゃん怖い!ちょっとちょっと謙也くん、見て見て!あの子めっちゃメンチ切っとる!」
ギクリと体が強張ったのが、自分でも解った。あぁ、何故談笑していた石田先輩ではなく、その横にいる謙也先輩に話を振るのだ。強張ったのは私の体だけでなく、「お、おぅ」と応じた謙也先輩の方も不自然なカクカクした動きをしている。一氏先輩のお陰で、今の今まで謙也先輩を意識せずにいられたのだ。それなのに、急に謙也先輩の存在に気付かされてしまったのだから、自分の体が引きつるのも仕方はない―――と思う。そんな不自然な状態に、金色先輩が気付かないはずもなく。
「・・・・・・・なぁに?アタシの知らん間に、何かあったん」
二人とも、と探りを入れるように交互に私と謙也先輩を見詰める。肩を竦めて返事に代えた私と違い、謙也先輩はというと、「な、何もないわ」―――と、明らかに「何かありました」と自ら暴露しているような返事を返していた。もちろん、追求の手を弛めるような金色先輩ではない。
「ホンマにぃ?」
胡散臭そうな顔で謙也先輩をジロジロと見詰める。謙也先輩は、隠し事が上手い性質ではない。わざとらしく金色先輩から目を反らし、右斜め前方に視線をさ迷わせる謙也先輩は、呆れてしまうくらいに正直者だった。一昨日までの私であれば、確実に好感をもっていたであろう先輩の馬鹿正直さ。しかしそれが、昨日の出来事のせいでどこからどう見ても道化というか、「ああ、アホやなぁ」という感想しか出て来ない。人の認識が一日でこうも変わるとは、と我ながら驚いてしまう。
追求の手が自らに及ばないことをいいことに、私はわざとらしく右腕をさすりながら一氏先輩の横へと移動する。金色先輩はともかく、謙也先輩のそばには居たくなかった。―――まぁ、気不味いのはお互い様だし、おアイコだろう。一氏先輩の横にあった空椅子にストン、と腰を下ろす。
「一氏先輩が無茶苦茶引っ張りよるから、痛くてしゃーないじゃないですか」
「痛い痛い~~~」とブチブチ言い続けると、そんな私を横目で一瞥した一氏先輩は「ハッ」と鼻で笑い、
「このドアホが。俺が引っ張ったんは右腕やのうて左腕じゃ」
ベェッ、と毒々しく赤い舌を出しながら、心底馬鹿にしたように言う。―――よく覚えていらっしゃることで。妙な感心をしていると、一氏先輩はブチブチと文句を呟き出した。
「大体何でお前が来んねん。俺が横に居て欲しいんは小春だけじゃ」
「ああああ、小春ぅ~」と気持ちの悪い声を出す一氏先輩に、「はぁ、すいません」としか言いようがない。別に私だって一氏先輩の隣に居たくて居る訳ではないんですけど、という邪悪な本音は飲み込んで、
「ほなら、金色先輩の所行けばええやないですか」
正論を言うと、一氏先輩は恨めしそうにジットリと私を見詰め、わざとらしい溜め息を吐いた。
「ええか、。しつこい男は嫌われるもんやろ」
「・・・・・・押してもダメなら引いてみろ、と?」
「せや。その塩梅が難しいねん」
正論を吐きながら憂う一氏先輩に脱力する。ズレている。明らかに、ズレている。――普段あれだけ「小春小春ぅ」としつこい癖に、いまさら何を言っているのだ、この人は。
「あれ、そういえば金ちゃんが居らんやないですか」
一氏先輩の奇襲で、普段人一倍五月蠅い遠山金太郎の不在に気付かなかったらしい。そんな自分に驚きつつそう言うと、
「英語の単語テストの追試やて」
興味なさそうに一氏先輩が答えてくれた。
「あいつ、英語苦手やからな」
まぁ、英語以外も勉学は苦手やけど。軽口を叩きながら、一氏先輩は「はぁぁ~」と大仰な溜め息を吐く。
「えぇよなぁ、お前は。女ってだけで小春に構ってもらえるんやから」
ジトッとした目で見詰めてくる、その目が本気なので焦ってしまう。このままヒートアップしてしまうと、本気に嫉妬と狂気が孕んで殺気に変化するのを、私は経験から知っている。
「否、でも!ホラ、女やと金色先輩の恋愛対象にはならんですし!」
あくまで構ってもらえるのは友達としてである、ことを強烈にアピール。一氏先輩は相変わらずジトッとした目で見詰めてくる。
「お前は、本当に小春がホモやと思うとるんか?」
ポツリと、愚痴を吐くような調子で言う。え、と一氏先輩の言葉に目を瞬くと、先輩は「何でもないわ」と手を振った。「この話はもう終わり」という意思表示。こうなると先輩はもう何も言わなくなる。ギャアギャアとやかましかった先程とうって変わって、茫漠とした表情で黙り込む。そんな一氏先輩の横で、私は小さく溜め息を吐いた。――人間、誰しもひとつやふたつ、悩みを抱えているものなのだな、とか思いながら。
ミーティングが終わり、部室を後にした私は、とっとと帰ろうと昇降口へと向かっていた。
金色先輩に甘味処に行かないかと誘われていたのだが、「ダイエット中なので」とそれっぽい理由を言って断った。本当はダイエットなんてしていないけれど、謙也先輩も一緒に行く様子だった為、私には断るという選択肢しか残されていなかったのだ。
下駄箱から取り出したローファーを乱暴に放り出し、脱いだ上履きを下駄箱に仕舞う。物にあたらなければやっていられない、そんな気分だった。本当は部活だって出る気はなかったのに。そんなことを思いながらも、これで良かったのだとも思う。ずっと謙也先輩を避けるなんて出来る訳もない。何しろ一緒の部活なのだから。第一、普通のことなのだ。ああいうモンに興味を持つのは正常で、何ら問題はない。小さなことにいちいち目くじらを立てている、私のような女の方が面倒臭くてよっぽど異常だ。そうは思っても、全然感情が付いていかない。思い出しただけでイライラする。謙也先輩の顔なんか、見たくもない。
思いだし怒り、とでも言うのだろうか。
過ぎた出来事を思い出してイライラする、という精神衛生上最もよろしくないことをしていると、
「―――ッ、マネージャー!」
ためらいがちに呼ばれた呼称に体が止まる。私のことをマネージャーと呼ぶ人間は一人しかいない。金ちゃんを始め、後輩は皆親しげに名前やあだ名で呼ぶ癖に、私のことはいつまで経っても「マネージャー」としか呼んでくれなくて。確実に仲良くなれている、そんな気はするのにいつまで経っても私は「マネージャー」としか呼ばれなくて。彼の何もかもが大好きだったけれど、唯一それだけが、不満だった。仲良くなれていた気がしたけれど、それはしょせん部活仲間としてでしかなかったんだろう。今ではそう思う。自分は何ておめでたい思考回路をしていたんだろう、と。彼にとって私はあくまでもマネージャーでしかなくて、そのマネージャーは別に私でなくて他の人でもきっと一向に構わないのだ。
視界をローファーに入れかけたままの右足から、彼の姿へと移す。呼称云々以前に、既に声で解っていた。大好きで、それが流れる校内放送を聞きたいが為に、雑用を引き受けていたくらいなのだから。
「・・・・・どうされたんです?――謙也先輩」
口から飛び出した大好きだった人の名前は、驚く程冷たい響きをしていた。そんな私に彼――謙也先輩は一瞬怯んだものの、グ、と顎を下げるとズンズンと近付いてきた。
「金色先輩たちと甘味処行くんやないんですか?」
近付いてくる先輩に、今度は私が怯む番だった。けれど、悔しいからそんな様子はおくびにも出さず、冷たい声色で謙也先輩に話し掛ける。ああもう、大好きだけど大嫌いだ。矛盾していることは百も承知で思う。私は謙也先輩が、好きだけど嫌いだ。気付いてないんでしょう?私が下の名前で呼ぶ先輩は謙也先輩だけだってこと。仲良くしてくれている金色先輩ですら、「小春先輩」なんて呼び方をしたことはない。謙也先輩は明るくて楽しくて、それはもうすごい人気で。本人は「俺は義理チョコ王やから」なんて笑っているけど、実は水面下ではすっごくモテていることに気付いていない。鈍感なんだ、結局。
よく見かける仲良しの、しょっちゅう一緒に居る女の先輩だって、きっと本当は謙也先輩のことが好きだ。踏ん切りがつかなくて「お友達」っていうポジションに甘んじているだけだと思う。その謙也先輩と仲良しのお友達はそれはもう綺麗な人で、でも気取っていなくて、うちの学年にもファンが多い。サバサバしていて気持ちがいい人だと、男からも女からも評判だ。そんな人に勝てる道理なんかなくて、だから私は告白なんか端からするつもりがなくって。でも、こっそり好きでいるくらいいいよね、なんていじらしいスタンスでいたのに、―――なのに!何なんだ、この人は。放っといてくれればいいのに。そうか、アレか?口止めに来たのか?―――別に心配しなくてもエロ本読んでたことなんてバラしたりしないっつーの!
グダグダと考えていると、謙也先輩は私を通り越して、昇降口へ歩いて行った。は?と思わず声が漏れる。人のこと呼び止めておいてシカト、って意味が解らない。何がしたいの?頭の中をクエスチョンマークだらけにしていると、謙也先輩は上履きのまま昇降口に降り立ち、傘立てからス、と傘を引き抜いた。その傘を見て、「あ」と呟く。合点がいった。あれは、兄の傘だ。・・・・そういえば昨日、我が家が誇るお節介大魔王は、謙也先輩に傘を貸していた。一人で納得していると、傘を携えた謙也先輩が昇降口から戻って来る。私の前まで来ると、スイと傘を差し出しながら、
「これ、昨日借りた・・・・・助かったわ、おおきにって伝えて貰えるか、そのぉ――」
おずおずと、言い難そうにボソボソと何かを囁く。
聞き取れなくて、「はい?」と言うと、先輩は再び怯んだように「う」と言葉に詰まった。そして、「あんな、その――」とウダウダ言い、やがて覚悟したように「だぁっ!」と軽く叫ぶと、
「彼氏さんにありがとうございました、って伝えといてくれや!」
「だぁっ!」と叫んだ勢いのまま、大声で言った。そんな謙也先輩の言葉に、私はポカンとするしかない。彼氏にありがとう?・・・・彼氏って誰やねん。心の中でツッコミを入れながら、ああ、謙也先輩は兄を私の彼氏と勘違いしているのだな、と思う。私と兄は似ていない兄妹だし、無理もないかもしれない。そう思うものの、間違いは訂正しなくては。そう考え、
「あれ、彼氏じゃなくて私の兄ですけど」
ポツリと言った言葉は、ちっとも冷たい響きじゃなかった。
それどころか、可笑しくて堪らない、という本音が透けて見えるような声だった。仕方がない、私は可笑しかったのだ―――謙也先輩の勘違いが。
「え?」と驚いたように目を丸くする謙也先輩がますます可笑しくて、プッと笑いが漏れる。ああ、やっぱり嫌いだなんて思いながらも嫌いになり切れないよなぁ、なんて思う。それがまた、少し悔しい。
「よぉ言われるんですわ、似てない兄妹やって」
差し出された黒い傘を引ったくるように受け取り、履きかけだったローファーに足を入れる。トントン、と靴先を鳴らして完全に履くと、クルリと謙也先輩の方を向いて、
「兄に伝えときますわ。謙也先輩がありがとう言うてはった、って」
ほな、お先に失礼します――― 一応そう断ってから、先輩に背を向けてズンズンと歩き出す。傘立てから桃色の傘を取り出し、黒い傘は鞄を持っている腕にかけた。背中に何となく謙也先輩の視線を感じたような気もしたけれど、気のせいだったのかも知れない。
何にせよ、私は身を以てよく言わていれる常套句が本当だと知らされてしまったようだ。・・・・・恋は惚れた者の負けだ、という忌々しいアレが本当だ、と。