兄弟がいるし、男の人がそーいうモンに興味があるのは当然だと、理解はしていた。逆にそーいうモンに興味がない方が「お前そっち系とちゃうん?」と変に勘繰られてしまうことも、解ってはいた。―――ただ、理解するのと実際に見るのとは別な訳で。
   



第一話:スキ、キライ




週の初め、月曜日のことだった。
この週は初っ端から生憎のどんよりとした天気で、「明日までにお天道様出てくれんと困るなぁ」と金ちゃんがボヤいていた。
「せやね」なんて答えながらも、天気予報は今日は曇りで明日は雨だったから難しいだろうなぁと、私はぼんやり思っていて。「ほんなら金ちゃん、てるてる坊主でも作るか!」と金ちゃんの頭をくしゃくしゃとかき回す謙也先輩の対応に、優しいなぁと感動したものだ。謙也先輩という人は、普段はおっちょこちょいだったり、ちょっと抜けていたりするようで、その実すごく周りに気を遣う人で。始めは気付けなかったその優しさに気付いてしまってからというもの、謙也先輩は私の中で特別になったのだった。





ところで、月曜日というのは男子テニス部が唯一、オフの日だったりする。それ故、曲がり形にもマネージャーである私は、この日を時々、部室の清掃や備品整理に充てていた。何故時々か、と言えば片手間に手伝っているクラス委員の仕事を頼まれるのが主に月曜日な為だ。
この日も、友人の手伝いで、生徒会に提出するアンケート集計をしていた。この場合、手伝いというより、代役と言った方が正しい。何でも付き合っているバレーボール部の先輩が近隣の強豪校と練習試合をするらしく、どうしても応援に行きたいと頭を下げられたのだ。仲が良い友達相手だし、アイスクリームを奢ってくれるという約束も取り付けたので、私は快く彼女の代役を買って出た。


正の字を書いて集計を進めていると、雲行きがますます怪しくなってきた。さっさと終わらせないと、と集中して取りかかる。しかし、運の悪いことに、丁度集計が終わってホッとした瞬間、雨がザーッと、勢いよく窓ガラスを叩き出したのだった。



「――――嘘やろ」


天気予報は曇りだった。だが、それを丸々信じた自分を罵ってやりたい。残念なことに私は、傘を持っていなかった。天気予報を過信しすぎたのだ。ロッカーの置き傘は、先日金ちゃんに貸してから未だ帰ってきていない。この時間母はパートだろうし、兄が傘を持って迎えに来てくれることなど端から期待出来ることではなく。――万事休す、だった。
窓ガラスにぶち当たり、不協和音を奏でる雨粒は猛々しくて、とても強行突破する気にはなれなくて。――少し雨宿りしていけば、小雨になったり止んだりするかも。そう考えた私は、実益と暇つぶしを兼ねて、部室で雑用をこなすことにしたのだった。















週の初めの月曜日に、放課後に仕事するのは嫌じゃないのか?―――という旨の質問を何度かされたことがある。
答えは半分イエスで半分ノー。
確かに雑用やらは正直面倒臭くてやりたくない日もある。けれど、月曜日の放課後にはひとつだけ、楽しみが待っているのだ。
放送部の仕事に、放課後放送というものがある。その名の通り、放課後に「校内に残っている生徒は速やかに帰りましょう」と、下校時刻を知らせる放送をするのだ。この放課後放送の月曜日の担当が、何を隠そう謙也先輩なのである。お目出度い私は、謙也先輩の放送が聴けるなら、まぁ雑用も悪くはないかな―――なーんて思っていたりするのだ。



そういえば、謙也先輩も未だ校内に残っているはずだけど、傘は持っているんだろうか―――。持っていたら入れてもらえないかなぁ、でもそんなこと頼む勇気ないしな――そんな取り留めもないことを考えながら、部室のドアノブを握る。不用心極まりないが、元教室だった部室には鍵がない。「ま、盗られるようなモン置いとる訳でもないしな」というのが渡邊先生の見解である。適当だ。
月曜日に私が部室で雑用をしていることは、部員にとって周知の事実。だから、誰もいないはずだった。なのに、何気なく、緩やかに開いた部室の中には人影があり、私は酷く驚いたのだった。



「―――――な・・・・・け、謙也先輩!?」


直ぐにその人影が、こちらに向かい合うように椅子に腰掛けている謙也先輩だと気付いた。次いで、ポカンとした表情をしている謙也先輩が手にしている雑誌に目が行った。扇情的なポーズをした、お色気たっぷりのお姉さんが表紙のそれは、「巨乳祭」やら「パンチラ」やらのアオリ文が大きく掲載されていて。「桃色天国」という雑誌名からして、それが「そーいう本」だというのは明白だった。


「――――な、え・・・・マ、マネージャー!?」


名前で呼んでくれる白石先輩や千歳先輩達と違い、何故か謙也先輩は私を「マネージャー」と呼ぶ。確かに私はマネージャーだし、別に間違ってはいないのだけれど―――私にはちゃんとという名前があるのに、なんて思ってしまう。こんな瞬間まで、名前で呼ばれないことを憂うだなんて、どこまで私は謙也先輩が好きなんだろう――。そんなことを考えながらも、自分の表情に段々と侮蔑が浮かんできていることには気付いていた。家に帰れば年頃の兄がいる。そーいうモンに興味津々なのも知っている。部室の掃除を始めた当初だって、「そーいう本」がいくつか出てきて悲鳴をあげたくらいだ。そう、別に謙也先輩が変態なんじゃない。至って普通。ただ、理解はしていても、実際に目の当たりにするとまた、話は別で。






「―――すいません、お邪魔しました」


自分でもビックリするくらい、冷たい声が出た。焦って立ち上がる謙也先輩を尻目に、握ったままだったドアノブを力任せに引っ張る。バタン!と大きな音が廊下に響いて。その音に弾かれるように、下駄箱を目指して一気に走った。












――――謙也先輩のドアホ。神聖な部室で何やってんだ!
沸々と湧いてくるのは怒りだった。ウチの兄弟と謙也先輩と、何ら変わりはない。それは痛いほどに解る。けれど、やっぱり、そんなこと実際に確認したくはなかった。ガタン、と背後で音がしたので振り返ると、慌てた様子の謙也先輩が見えた。こちらを見ると、一目散に駆けだして――――私を追いかけてきているらしかった。追いかけて、どうするというのか。・・・・言い訳でもする気なのか?―――そんなもの、聞きたくはない。


謙也先輩に徒競走で勝てる勝率は、低い。何せ相手は浪速のスピードスターを自称しているのだから。でも、捕まってたまるものか。そう決意した私は、頭脳戦に出た。曲がり角を曲がって直ぐにある、職員用トイレに駆け込む。先生に見付かれば大目玉だが、そんなことは今どうでもいい。一番奥の個室に入り、静かにドアを閉める。中に入っていることがばれないよう、あえて鍵は掛けずにいた。
ハァハァと上がる息を必死で堪え、潜める。ドクンドクンドクン・・・・と心臓がすごい速さで鳴っていた。落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせる。けれど、頭の中を「桃色天国」がチラチラして落ち着けない。ふぅん、巨乳祭ねぇ。そーですか、先輩は巨乳好きですか。そっと下ろした視線の先にある己のそれに、知らず知らずのうちに溜め息が出た。

バタバタと騒がしい足音がしたのと、スカートのポケットに入れていた携帯電話が震えるのは同時だった。マナーモードにしておいてよかった、と思いつつ携帯電話を取り出し、外の様子に耳をそばだてる。バイブレーションの音が聞こえていたらどうしよう、という懸念は直ぐに晴れた。謙也先輩と思われる足音は、直ぐに遠離って行って―――さすがはスピードスター、なんてちょっと感心する。
ふぅ、と安堵の息を吐きつつ、携帯電話を開く。メールは珍しく、兄からだった。驚きつつ読み進めたそれは、要約すると「が傘持ってないなら迎えに行ってやれと母さんに言われたが、お前は傘を持っているのか?」というものだった。母の心遣いに感謝しつつ、「持ってない。迎えに来て」と返事を打つ。数分後、「せっかく学校がないっつーのにふざけんな」という、愛ある返信が返ってきた。












「――――遅ぇ」


昇降口で待っていた兄は、私の姿を見付けると同時に、眉間に皺を寄せた。


「・・・・・すまん、兄ちゃん。せやけど、これには深い訳があんねん」

「何やねん、それ」

「言えへん」

「はぁ――――――!?」


兄が怒るのは尤もだが、兄からの「着いたで。今昇降口」というメールが届くまで、職員用トイレの個室から出ることが出来なかったのだ。もしうっかり謙也先輩に会ってしまったら困る。そう思うと、どうしても個室から出られなくて。そうこうしているうちに、放課後放送で謙也先輩の声が聞こえて死ぬ程驚いて、それでもやっぱり個室から出ることが出来なくて。―――なんて、そんなことを兄に言えるはずもない。



「おッ前なぁ・・・・・休みの日にわざわざ妹迎えに来たったお兄様に対して何やねん、それは!」

「別にええやん、家でグータラしてるだけの暇人大学生やろ!大体母さんに言われて仕方なく迎えに来たんとちゃうんか!?」

「おのれ、言うてはならんことを言うたな――――――!」


昇降口で兄とギャアギャア言い争っていたのが災いした。ふと押し黙った兄が、私の後ろを指差し、「の友達か?」と尋ねる。「え?」と振り返ると、謙也先輩が立っていた。
「驚いたような顔をしているな」と思ってから直ぐに、私も同じような顔だろうと思う。交わった視線がぎごちなくて、直ぐに反らし、兄の方へと向き直った。




「―――否。友達やのうて、部活の先輩」

「あぁ、男子テニス部の―――・・・・」


ポン、と手を打った兄は、ニコニコと笑っていらないことを言い出した。軽く頭を下げると、


「どうも、いつもがお世話になっとります」

「ちょ、余計なこと言わんでええ!」


慌てて遮ったけれど、もう既に遅くて、謙也先輩がボソボソと「こちらこそ」と返事をするのが聞こえた。



「何が余計なことやねん―――すんまへんなぁ、先輩。には後で、よう言い聞かせとくさかい、勘弁したって下さい」


無駄に社交的で、なおかつお節介な兄は、ポンポンと余計な会話を進めていく。―――こんの、アホ!と内心煮えたぎっていると、兄が「あれ」と呟いた。


「先輩、もしかして傘持ってないんとちゃいます?」


この兄の問いに対し、謙也先輩は「えぇ」とか「あぁ」とか、釈然としない返答を寄越した。恐らく傘を持っていないのだろうが、初対面である兄に言い辛いのだろう。それに対し、人見知りということをしない我が愚兄は、ニコニコしながら黒い傘を差し出すと、


「ほな、よかったらこれどーぞ」


と勧めた。自ら差してきたのであろう。黒い傘は湿っている。そして、差し出した手と逆の左手には、桃色の私の傘が握られている。


「俺とは、この傘で一緒に帰るんで、遠慮せんでえぇですよ」


桃色の傘を示しながら愛想良く微笑む兄に対し、謙也先輩は躊躇ったように「でも」とか「いや」とボソボソ呟いている。遠慮しているらしく、このままではラチが明かなそうだった。―――全く、余計なことを。そう思いつつも、私も謙也先輩が濡れて帰るような羽目に陥って欲しくないので、兄のこの行動はある意味ナイスフォローでもある。ふぅ、と深く息を吐き、覚悟を決めると、兄の手から黒い傘を引ったくった。そして、謙也先輩につかつかと歩み寄り、無理矢理押し込めるように握らせる。



「――――傘、持ってないんでしょう?風邪でもひかれたらマネージャーとして困るんで、使うて下さい」


我ながら感情のない、冷たい声だった。謙也先輩の顔を見ずに、それだけ言うと、私は兄の手を引いて「帰ろ」と促した。



「オイ、。お前先輩に挨拶せぇや」

「・・・・・・・・・・」

!・・・・っとに、すんまへんなぁ、先輩。後でよう言っときますんで」


さようなら、と兄が謙也先輩に挨拶をするのが聞こえた。

パン、と私の傘を開きながら、兄が苦言を言う。


「お前、そんな礼儀もなってない癖によう体育会系の部活に入っとるなぁ」

「ええから早よ帰るで」

「おッ前なぁ~~~~~!」


兄と一緒に桃色の傘に収まりながら、帰路へ着く。雨脚は強いままで、暫く収まりそうにない。兄として恥ずかしいわ」とブチブチ私の無礼を嘆き続ける兄の言葉を聞きながら、視界に入る桃色が「桃色天国」を連想させ、不快だった。小言を言いながら横を歩く兄の顔をチラリと見て、「そーいえばコイツもそーいうモン持ってるんだよなぁ」と思う。―――どいつもコイツも、脳内ピンク色で目出度いことだ。ふん、と知らないうちに鼻で笑っていた。兄がそれに気付き、「何や」と呟く。


「何でもあらへん」

「お前今日、そればっかやな」

「放っといてや・・・・ウチ、今傷心なんよ」

「寝言は寝て言え」


ペチン、と平手で頭を叩かれる。「痛いわ」と顔を顰めながら、明日の部活が自由参加で良かった―――とぼんやり思った。



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