そう、なんていったって俺は、好きな物は一番最後に食べるタイプなのである。







それもまた、一興











部室に入ると真っ先に、何とも形容し難い表情をしたが目についた。

の前では、赤也がとぼけたような、それでいて悪戯に成功した子どものような顔をしている。

察するに、赤也が何かの威を狩るような言葉を吐いたのだろう。




「柳先輩!」


状況判断についての考察が終わった頃、が俺に気付いて飛びついて来た。

誇張表現ではなく、本当に飛びついて来たのだ。

柔らかな身体が腕にじゃれつく。無防備な、と眉を顰めたくなる反面、嬉しくないと言えば嘘になる。男というものは因果なものだ。





「赤也くんったら、酷いんですよ!私が『不思議の国のアリス』が好きだっていったら、「アリスの作者はロリコンだ」なんて言うんです!」


俺の右腕に左腕を絡ませながら、がむくれながら赤也を糾弾する。

赤也は素知らぬ顔で、



「しょーがねぇだろう、事実なんだから」

「嘘!」

「嘘じゃねーって。そーッスよね、柳先輩?」



赤也の言葉に、が俺を見上げる。

が絡ませた腕に、ギュッと力が入った。腕に感じる弾力感に、ないなりにそれなりのものはあるのか、とぼんやり思う。

本人に言ったら怒られそうだ。











込められた力や訴えるような眼差しに、俺が否定することを切に願っていることは十分伝わっていたが、事実なのだから仕方ない。

ふぅと溜め息を吐き、



「赤也の言う通りだ。『不思議の国のアリス』の作者、ルイス・キャロルもといチャールズ・ウトウィッジ・ドジソンは俗っぽい言い方をすればいわゆる「ロリータ・コンプレックス」だと言われている」


俺の言葉に、は悲壮な表情を浮かべ、対する赤也は勝ち誇った表情を浮かべた。



「ほら見ろ。アリスの作者は、ロリコンで幼女の裸を写真に撮ったりするような奴だったんだって」

「嘘!」

「嘘じゃねーっつーの。何なら柳先輩に訊いてみろよ」


更なるショックに打ちのめされ、泣き出しそうな顔のをフォローするべく、「やれやれ」と思いつつも、解説を始める。


「確かにドジソンは幼女の裸体を写真に収めているが、そういった写真を撮る際は女の子の両親に許可を取り、写真を個人的なものにするよう注意していたそうだ。
ドジソンは幼女を慈しんだが、それは決して性的なものではなく、極めてプラトニックなものだったのだろう」




この解説に、赤也は「ぷ、ぷらとにっく・・・・?」と、ちんぷんかんぷんだという顔をした。

対するは、複雑ながらもショックは和らいだようである。




二人の理解力の差が歴然と見え、赤也には英語ばかりでなく国語の勉強会も開ねばと思う。

赤也の為に、


「要するに、アリスの作者は確かにある意味ロリコンだが、変態ではないということだ」

「ロリコンっつーことは変態じゃないっすか!」



赤也の意見はもっともだが、そうではないと解説したにもかかわらずそう言われては、こちらとしてはどうしようもない。

これ以上赤也に対して解説しても赤也は理解しないだろうし、肝心のは理解出来ているので、赤也の言葉には肩を竦めて答えるに留めた。






「それより赤也。よくそんな話を知っていたな」

「姉貴に訊いたんですよ」


飄々と答える赤也は、もうこの話題に大して興味がなくなったらしい。

んー、と腕を伸ばし、ジャージのチャックを閉める。



「そろそろ柔軟でもすっかなー」


そう呟くと、跳ねるように歩いてドアノブを掴んだ。

ガタンと部室のドアが開く。

部室を後にする前、ふと思い出したように、


「そーいや。お前ってロリコン受けしそーな顔だよな」

「・・・・・・・な、何よソレ!」

「だってお前、すっげー童顔じゃん。小学生みてぇ」

「な、な・・・・・・!」




口をパクパクと金魚のように開閉するを放り出すように、赤也はドアを閉めて行った。

チラリとの横顔を盗み見る。

確かに赤也の指摘するように、幼い顔立ちだ。

小学生というのは言い過ぎだが、「ロリコン受けしそーな顔だ」というのは頷ける。





ふと、思考が奇妙な方向へ舵を切った。

ロリコン受けしそうなが好きということは、すなわち俺も・・・・・?




フルフルと頭を振る。

理論的に考えて俺との年の差ではロリコンたり得る条件を満たさないし、第一はロリコン受け「しそう」なだけであり、ロリコン受け「する」訳ではない。
















。そろそろ腕を放してくれないか」


若干惜しいような気もするが、俺も準備体操をしておかねば不味い。

絡められたままの腕を見ながらそう言うと、はハッとしたように腕を放した。



「ごめんなさい!すっかり忘れちゃって」

「忘れた・・・・・?」

「はい、そのぅ・・・・・やっぱり柳先輩って、お父さんみたいで安心するんですもん」


言い難そうに、かつ少し照れたような表情で話す。

俺は以前、に「お父さんみたい」と言われた経験がある。ジジ臭いと言われたようで、正直ショックだった。

・・・・・・まぁ、ジジ臭さでは、弦一郎が俺の上を行くだろうが。



そんなことを考えていると、が「ごめんなさい!」と頭を下げ、再び謝った。


「やっぱり、気分悪いですよね・・・・。一歳しか違わないのにお父さん、だなんて」

「否・・・・・・」


クラスメイトに皆から「オカン」と呼ばれ慕われている女生徒がいるが、彼女は「オカン」という愛称に誇りを持っている。

それは「オカン」という呼称がすなわち、周りに母のように慕われているという証であるからだろう。

この原理で行けば、に「お父さんみたい」と言われることを、俺は誇りに思うはずなのだが・・・・。





頭の中で考えを突き詰めて行きながら、ふぅと溜め息を吐く。

に関する思考は、いつもこうだ。行き着く先は解り切っている。行き着くまでの過程が毎回違うだけの話だ。


俺が、のことが好きであるから。

に「お父さんみたい」と慕われるのが、あまり嬉しくない理由はこれだ。



ついでに言えば、俺の恋の望みは幸薄である。

何故ならば、は精市に目下片想い中だからである。

ただし、は知らないようだが精市には思い人がおり、相手もまんざらでもなさそうなので、の恋も俺同様、幸薄である。


俺にとっては好都合な訳だが、俺にはそもそもに気持ちを伝える気がないので関係がない。

何故言う気がないのかと言えば、それは至極簡単な話だ。

と付き合う自分が全くイメージ出来ないからである。



恋人らしく手を繋いだり抱き合ったりしたいかと言われると、正直微妙なところだ。

を愛おしいと思う。触りたいと思う。だが、実際そうなるとは思えない。そんな姿は想像出来ない。



だというのに、先程のように、前触れもなく腕に絡みつかれては堪らない。

人間の本能というのは侮れない。遺伝子を残そうという生存本能は、しっかり欲情という形で現れるので恐ろしい。

しかもこの欲情という名の怪物は、鎮めるのになかなか労力を要する。




「・・・・・柳先輩?」


つい思考に耽ってしまい、への返答が疎かになった。

そのせいで、


「・・・・・・・やっぱり怒ってますよね」



はすっかり勘違いしてしまったらしい。



「何でも一つだけ、言うこと聞きますから!許して下さい!!」



否定しようと口を開く前に、素っ頓狂なことを言い出した。




「・・・・・ほぅ?何でも言うことを聞く、か」

「高い物を買えとか、そういうのは無理ですけど。・・・・・・出来る範囲でなら」

。・・・・・何でも言うことを聞く、というのはあまり感心しないな。無理難題をひっかけられても知らないぞ」



誰にでもこう言っているのだろうか、という疑念が頭を掠めたので、釘を刺す。

頭の中がピンク色の男にそんなことを言っては、大変なことになる。



深刻な顔で忠告したのがマズかったらしい。

はポカンという顔をした後、ケラケラと笑い転げた。



「やだ、柳先輩ったら・・・・あー、可笑しい。大丈夫ですよ、ちゃーんと言う相手は見極めてますから!」


だってホラ、先輩は私が困るようなお願いごとはしないでしょう?と微笑む。

見かけにそぐわず、なかなかの策士だったようだ。

何となく悔しくて、仁王がよくやっているのを真似て、の頭をかき回すように撫でる。


「キャ、やだやだ、やめて下さいってばー!」





髪の乱れを気にするを残し、


「さて、俺もそろそろ準備運動を始めないとな」


わざとらしく言い訳しつつ、ドアへと歩を進める。



ドアノブを掴むと、が追いかけて来た。



「柳先輩、お願いごとは?」




の言葉に、ドアノブを回そうとした腕から力が抜ける。

律儀にも、きちんと一つ言うことを聞くつもりらしい。可愛い奴だ。




への愛しさを胸に広げながら、俺はこう応答した。



「ふむ。では、貸し一つということにしておこう」






―――――
俺は、楽しみは先延ばしにしておくタイプなのである。

























A special occasionclosed.
柳くんは、自分の恋愛すら冷静に分析していそうなイメージです。












back