常々、柳先輩は何かに似ていると思っていた。
まるでノクターン
その「何か」が解ったのは、赤也くんがぼやいた愚痴がたまたま耳に入ったたからだ。
いつものように練習試合に遅刻し、お兄ちゃんの落雷に遭った赤也くんは、ようやく終わったお小言に溜め息を吐きながらこう言った。
「真田副部長、親父みてぇ。・・・・ルックス込みで」
的を得すぎた表現が可笑しくて、笑いを堪えるのに酷く苦労した。
弦一郎お兄ちゃんが伯母ちゃん言う所の「おっさん臭く」なったのは、中学二年生の秋頃からだ。
お母さんはよく、「男の子は成長が早いわねぇ」と感心したように言っていた。
身長がグングン伸びて170cm後半に差し掛かると、お兄ちゃんは私と歩いていると、
「あら、お若いお父さんね」
「さんのお父さんですか?」
・・・・・と言われるようになってしまった。
要するに若干14歳にして老け顔になってしまったのだ、お兄ちゃんは。
落ち着いた物腰の先輩は、従兄弟である弦一郎お兄ちゃんとはまた違った意味で、とても中学生には見えない。
赤也くんは、弦一郎お兄ちゃんを「親父」と評したが、私にとっては柳先輩が「お父さん」というイメージである。
海のように穏やかで、でもマネージャー業務に抜かりがあると急に荒波のように厳しくなる。
母なる大地、父なる海と言うならば、私にとって母は精ちゃん、父は柳先輩だ。
そんな事を考えていたもので、その言葉は自然にスルリと唇から流れ出た。
「柳先輩って、お父さんみたい」
精ちゃんのお見舞いに行った、次の日。
昨日精ちゃんに見せた部誌で、「もっと詳しく書いてもらえると助かる」と言われた箇所の改善案を柳先輩が提案してくれていた。
部誌は基本的に柳先輩が記すのだけれど、私がマネージャーになって少し経ってからは、引退後のことを考えて私と柳先輩で一緒に書くようになった。
一緒に書く、とはいっても、共著というのがおこがましい程に柳先輩が記す率が高い。
そんな中、「部員の声がもっと聞けたらな」と言う精ちゃんのリクエストに応える手段として、平部員に部活動についての不満や希望を記してもらうノートを作ったらどうかと提案した。
「無記名でよくして、誰でも気軽に書けるように順々に回す、とか。・・・・・あ、でも回す順番で誰が書いたか見当ついちゃうから駄目か」
自分で出した案に、自分で駄目出しする。
私は物事をよくよく考えないうちに口に出してしまうので、こういうことがよくある。
フゥ、と溜め息を吐いた私に目を向けながら、柳先輩が静かに口を開いた。
「それなら、メールフォームを作ったらどうだ?」
「メールフォーム?」
首を傾げる私に、「あぁ」と頷いて見せ、
「無記名でもいいように設定して、送信先を精市のメールアドレスにしておくんだ。送信者のメールアドレスは、受信者に解らないしな」
「・・・・・・それ、いいかもしれないですね」
失策だと思った提案が、柳先輩の手に掛かればたちまち名案に変わる。
・・・・・・参謀というあだ名は、本当によく柳先輩を表していると思う。
しかも、参謀らしく計画を立てるだけでなく、アフターサービスや助力も抜かりがないのでスゴイ。
柳先輩という人は、他人の意見や言葉をゆったりと受け入れてくれ、決して否定はしない。
「覚えが悪い」と酷く突き放した言い方をされたと傷付けば、しっかりとそれをフォローするべく指導を行ってくれる。
そして、まるで我が子の成長を見守る親鳥のような瞳で時折優しく微笑んでくれるのだ。
「早速、精ちゃんに無料で借りられるメールフォームのサービスを借りてもらうように言いましょう」
今度のお見舞いの時にでも。
意気揚々と提案した折、柳先輩が例の親鳥の目で私を見詰めたものだから、つい言ってしまったのだ。
「柳先輩って、お父さんみたい」、と。
ポツリと呟くように言った割に、その言葉は部室の壁に染み込むように、響き渡った。
「・・・・・・・お父さんみたい、か?」
先輩は不可解そうに、私の言葉を復唱する。
その言い方が、若干不服そうだったので、つい笑ってしまった。
クスクスと笑う私に、柳先輩は大仰に溜め息を吐いて、
「心外だな。少なくとも、俺は弦一郎よりは老けていないと思うぞ?」
客観的に見てもな、と真面目な調子で続ける先輩がますます可笑しくて、笑いが止まらない。
笑いの波が退いてはまた到来し、去ってはまたやってくる。
何度もそれを繰り返すうち、私の腹筋が限界近くなり、ようやく笑いが収まってきた。
そんな私を冷めた目で眺めながら、柳先輩がポツリと呟いた。
「・・・・・・・今のを見ていると、姉を思い出すな」
仕方がないな、と言わんばかりに肩を竦め、
「姉は俺が夜想曲に似ていると言った」
急に話が飛んだように感じ、困惑する。
お陰で笑いはすっかり収まり、どこかへ行ってしまった。
「・・・・・夜想曲?」
「ノクターンのことだ。ジョン・フィールドが創始し、ショパンがそのピアノ曲で完成の域に高めた曲種を指す」
どうも柳先輩の解説を聞くと、いつも眠くなりそうな感じがする。
一度、先輩に説明してもらったある言葉を辞書で引いて、辞書の説明が先輩の言葉とほぼ同じだったことがあり、ド肝を抜かれたことがある。
先輩は、広辞苑や百科事典を暗記しているのではないかと思えてならない。
「柳先輩のお姉さんが、そのノクターンに先輩が似ている、って言ったんですか?」
フ、と軽く微笑んで、先輩が首肯する。
しかし、それが私にとっては不可解で、首を傾げてしまう。
「・・・・・それがどうして、私を見ていてお姉さんを思い出すことになるでしょう?」
関連性がまったく見出せない。
確かに先輩に比喩表現を使いはしたが、喩える物が「ノクターン」と「お父さん」では月とスッポン、豚に真珠もいい所である。
「姉に何故俺がノクターンなのだと問うと、姉は夜想曲が瞑想的な曲種だからだと答えた」
「瞑想的、ですか・・・・・・?」
曲種を説明するのに、そんな瞑想、なんて表し方をするんだなぁと感心する。
・・・・・・・もっとも、私にはその「瞑想的」な感じがちっとも解らないのだけれども。
「あぁ。俺が常に目を閉じているように見える様が瞑想をしているようだから、夜想曲に似ていると言ったそうだ」
そう言った後に、姉は笑い出したんだ。
先輩がそこまで言って、やっと合点がいった。
「それで、私を見てるとお姉さんを思い出すって言ったんですね・・・・・」
柳先輩を何かに例えて、笑ったから。
「でも、何か申し訳ない感じです」
「何がだ?」
「だって、お姉さんは「ノクターン」なんて綺麗な喩えなのに、私は「お父さんに似ている」ですもん」
お父さん、と再度言うと、柳先輩は少し傷付いたような顔になった。
・・・・・一瞬だけだったけれど、多分、ショックを隠しきれないかのように、眉を顰めたと思う。
これは少しマズイ。そんなつもりで「お父さん」と言った訳じゃないのに。
「・・・・・・でも、言っておきますけど」
コホン、とわざとらしすぎる咳払いをしてから、
「一緒に居ると安心する、とか、そういう良い意味で「お父さんみたい」って言ったんですよ?」
ホラ、弦一郎お兄ちゃんは同じお父さんに喩えるにしても、雷親父じゃないですか?でも、柳先輩は穏やかで優しいお父さんみたい、って。
そうフォローを重ねると、先輩は唇の端を少しだけ上げて、
「・・・・・・ほう、興味深いな。今の話、弦一郎に言っても構わないか?」
「ちょ、なっ・・・・・・!勘弁して下さいよっ!!」
「いい話を聞かせてもらった。今後の切り札のひとつに加えるとしよう」
「切り札って、何の切り札ですか!・・・・・あ――――、もうっ、前言撤回です!!」
この人の傍では安心してはいけない。
いつ何時弱みを握られるか解ったもんじゃない・・・・・故に、気を抜く訳にはいかないのだ。
先輩の言葉に焦ったが、ふと、弦一郎お兄ちゃんを「親父」に喩えたのは赤也くんだと思い出す。
「フン、だ。別に良いですよーっだ。お兄ちゃんを「親父」って言い始めたの、私じゃなくて赤也くんですからっ!」
「・・・・ほう?赤也に罪を擦りつけるのか」
「嫌な言い方しないで下さいっ!赤也くんが「真田副部長、親父みてぇ。・・・・ルックス込みで」って言ったのは、紛れもない事実なんですから」
胸を張って言うと、先輩は苦笑しながら、
「赤也に罪を被せると、最終的にその罪は桑原が被ることになるぞ。――――赤也は桑原に面倒事を押しつけるのが上手いからな」
「えっ!」
それは具合が悪い。
優しくて良い人すぎる故に、後輩の赤也くんにいいように使われている感が拭えないジャッカル先輩・・・・・。
「・・・・・解りましたっ!良いですよ!!私がお兄ちゃんを親父って言いましたが何か!?」
自棄っぱちに叫ぶと、柳先輩は意地悪く見える笑みを浮かべながらこう言った。
「――――――――良い子だな、」
その言い方をとてもお父さんっぽく思ったのは、秘密にしておいた方が良さそうだ。
“.He is
like the father.””closed.
立海オンリー企画「pray」への寄稿作品です。
お題に沿うようにしすぎた無理矢理な感じが否めないですね・・・。
お題提供:my
tender titles.
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