人には向き不向き、ってものがあると思うんですが。










決意










すでに日課のようになってしまっているのでどうしようもないけれど、やっぱり嫌な物は嫌だ。








静かで落ち着いた声が、私の名前を優しく呼ぶ。

怖がる所以など何もないのに、ビクリと体が震えた。


でも、これから起こることを思えば当然。

私の体は正常で正直だ。




けれど、私の背後に近付いてきてるであろう彼はそうは思わないらしく。

その証拠に、少し呆れたような声色でこう言った。



「怯えるくらいなら、もっとキチンと仕事をこなせばいいだろう」


サラリと言われた一言が癇に障って、


「お言葉ですけれど」


相手が先輩である、ということに一応の敬意を払い、こう前置きをしてから。




「精一杯やってるんですっ!!」



テニスコート全面に響き渡るよう、力の限り叫んでやった。






「なら、もっと努力してくれ。この前の赤也の練習試合のタイム、秒末尾が15秒程間違っているぞ」



15
秒!

そんなの知りらない。


大体、私と柳先輩が違う人間である以上、タイムウォッチを押すタイミングに誤差が生じるのは当然で。

一々それを「間違っている」と指摘されても困る。



・・・・・・・まぁ、15秒も違うのは誤差が大きいとは思うけど。





「前にも注意しただろう。公式試合では、審判がコールをして始めて試合は終わるのだと」


・・・・・・・そう言えば。


でも、赤也くんがあんなに試合時間にこだわっているんだもの。

少しでも短いタイムを叩き出して欲しいと思ってラストショットが決まったと同時にストップボタンを押したくなるのが人情、ってものだ。






「不満そうだな」


柳先輩が、器用に片眉を上げて言う。


私は顔に感情が出やすい、らしい。

自覚はないのだけれど、不満たらたらなのが柳先輩にバレている辺り、そうらしいと認めざるを得ない。



「別に俺は構わないぞ。弦一郎にがマネージャーとして役に立たない旨を伝えなければならないがな」

「解りましたっ。以後気を付けますから!どうかご指導下さい、柳先輩!!」



弦一郎お兄ちゃん――――正確には実兄ではなく従兄弟だ――――は、たとえ女の子であろうと容赦ない。

精ちゃんの傍にいたくて頼み込んで無理矢理マネージャーにしてもらった手前、お兄ちゃんにマネージャー業が疎かだと柳先輩に言われた日には―――――。



(間違いなく、ビンタだ。)



ブルリと肩を震わす。

古武士みたいな性格してる癖に、女性に対しても情け容赦ないのだ、お兄ちゃんは。





昔っからそうだ。

あれは、いくつの頃だったっけ。

給食袋を持って帰るのを忘れた私に、「たるんでる!」って怒鳴って―――――・・・・。







トホホ、と溜め息を吐く。

その後のことは、思い出したくない。






促されるまま、柳先輩の後に続いて部室に入る。

これからみっちり先輩の講義を拝聴しなければならないと思うと、憂鬱だ。

柳先輩の説明は、学術的というか小難しいというか、とにかく私には解りにくいのだ。





部室に入った私を迎えたのは、現在のの私の心情には場違いなことこの上ない明るい声だった。


「あっれぇ、どーしたんだよ。気ィ抜けた炭酸水みたいな顔だぞ」


「どんなよ・・・・・」


こちとら気が重いというのに、相も変わらずこまっしゃくれた物言いの赤也くんに脱力させられる。

スイッチが入った赤也くんは鬼のように怖いけれど、普段は陽気で楽しい仲間だ。


ニヤリと笑うと、私のツッコミに切り返してくる。




「こーんな感じ?」


椅子に深く腰掛けて、机に肘をつきながら、左手で持ったペットボトルを振って見せる。

ジャボン、と液体が空気と混ざり合って音を発てた。

赤也くんがボトルを振る度に、ボトルに印刷された赤地ラベルの白いロゴが踊る。



「コーラ?」

「そ。2日前に買って部室の冷蔵庫に置いといたの忘れちまってよ、すっかり気ィ抜けちまったって訳」


気ィ抜けたコーラって美味くねぇんだよなぁ、と言いつつ、ボトルを仰ぐ。

マズイといいながら、飲みきるつもりらしい。



「赤也くんって、割と貧乏性だよね・・・・・」


そう言うと、赤也くんがドン、と音を発ててペットボトルを机に置いた。

気のせいか、若干目が血走っている気がしないでもない。


「金ナシ学生にとっちゃあ、ペットボトル1本の代金も貴重なんだっつーの!」

「あ、それ解る。毎日だと馬鹿にならないんだよね、ペットボトルって」

「だろ!?」


二人してうんうん、と頷き合う。




私は断然、水筒派だ。

お陰で毎日ペットボトルの飲物を買ってくる同級生が、とてもお金持ちに見えてしまう。



。ここに座れ」



柳先輩がソファに腰をおろしながら、テーブルを挟んで向かいにあるソファを示した。



「ふぅん。人を貧乏呼ばわりするサンはと言うと、これから柳先輩の特別授業を受けるって訳ですか」


毎度の事ながら、とニヤつきつつ、コーラを呷る。

顔には思いっきり「人の不幸は蜜の味」と書いてある。




(こ、この野郎!!)





あまりの怒りに口をパクパクさせる事しかできない私に対し、柳先輩はと言うと、



「その通りだ、赤也」


「お邪魔虫はとっとと退散した方がいいッスかね?」


「茶々を入れてたりせずに大人しくコーラを飲んでいるだけならば、別にいても構わないぞ」


「そんじゃお言葉に甘えてしばらくいさしてもらいます。っつっても、俺の休憩時間はもうすぐ終わるんで、すぐ退散しますけど」


言いながら、チラリと私を見る。

右の口角だけが上がった、勝ち誇ったような笑顔が忌々しい。

大方、「さっきの仕返しに俺の粗探しをして真田副部長に言いつけようったって、そうはいかねぇぞ」とでも言いたいのだろう。




沸々と湧いてくる苛立ちを必死で鎮める。

どうせ赤也くんはすぐに粗相をしでかすのだから、と思いながら。

























「・・・・・・これらの言い方は、もちろんテニスに限られる。Aという選手とBという選手の試合―― gameではなくmatchだ―――で、
duce
からB選手がポイントを取れば、“Advantage player B.”となる。」


木陰に建っている為に薄暗い部室の中で、柳先輩の淡々とした声が響く。

室内には私と柳先輩しかいない。

赤也くんは宣言通り、あれから10分程度で練習に戻った。

時折、「レギュラー部員、集合!」と、コートから弦一郎お兄ちゃんの声が聞こえてくる。




(柳先輩も、レギュラー部員なのに・・・・・・)



柳先輩にも招集の声は届いているだろう。

でも、先輩は席を立とうとはしない。無論、私の為だ。

事前に断りを入れたので、お兄ちゃんは元より、誰も呼びに来ない。





(先輩の練習時間を私が邪魔してる・・・・・・・・)





それは記録が正確にとれないこと以上に、マネージャーとして致命的であるように思えた。







「・・・・・・・セットスコアでは0の言い方はloveではなくnilとなることに注意しておけ。・・・・・聞いてるのか?


「・・・・・・ごめんなさい」


「謝る気があるのなら、最初からキチンと聞いていろ」


「そうじゃなくて・・・・・・」


唇を噛み締める。

柳先輩が訝しんでいるのが空気で解った。



「・・・・・・・私、マネージャー辞めた方がいいです」


「・・・・・・・・?」


「退部届って、どこにあるんでしたっけ。部室棟ですか?それとも、職員室?」


「おい、。一体、どうしたんだ?」



立ち上がりかけた私の肩を、柳先輩が掴んだ。

先輩らしくもなく焦っている感じが伝わってきて、何だか可笑しい。

可笑しいと思っているのに、ジワリと目頭が熱くなってきて、涙を堪えるのが大変だった。



「・・・・・・・・?」


とうとう、堪えきれずに溢れた涙を見て、先輩が声を潜めた。





(子どもみたいだ)




感情が整理できなくて、爆発してしまうなんて。

そう思うのに、感情の渦に飲み込まれてしまって、なかなか浮上できない。








赤子をあやすように、優しく私の名前を呼ぶ。

海のように深い、無条件で安心する、父性を感じる声だった。




「順序立てて、話してみてくれないか」


「・・・・・・・・・・・・・・・」



「俺では役不足なら、精一か柳生を呼ぼう。二人にだったら話せるだろう?」


無条件に優しい柳先輩の言葉に、また涙が零れた。

違う、という意思表示の意味で、首を横に振る。





「・・・・・・・私、柳先輩の練習の、じゃ、邪魔をしています」


つっかえつっかえ、何とか言葉を絞り出す。

唐突に話し出した私の言葉を、先輩は黙って聞いている。



「せ、選手のサポートをするべきマネージャーが、選手の邪魔をす、るなんて・・・・・」


「・・・・・・・それで、マネージャーを辞めた方がいいと思ったのか」


言葉足らずな説明を、直ぐに理解してくれた。

先輩が普段多くを語らないのは、人の気持ちを察するのが上手いからなのだと痛感した。

私は言ってもらわないと解らない人間だから、逐一注意してくれたことも。

それを嫌がっていた自分を、心底恥ずかしいと思う。






「そうやって選手のことを考えられるのだから、は十分立派なマネージャーだ」


え、と顔を上げると、先輩の瞳が優しく微笑んでいる。

包み込むような優しさに、やっぱりお父さんみたいだと思った。




は俺の邪魔はしていないぞ。お前がこうやって俺が教えたことをキチンと吸収してくれさえすればな」


そうすれば、データ収集をに一任して、俺はその分練習に励むことができるだろう?、と。

言いながら、私の髪を壊れ物を扱うかのように慎重に撫でた。




「それに、お前がいるから、頑張れることもある」


「・・・・・・本当に?」


「ああ、本当だ。精一を見てみろ。お前がマネージャーになってから、調子が良いじゃないか」


「・・・・・・私とは関係ないですよ」


「否、関係あるぞ。他の誰でもない、精一自身が言っていたじゃないか。のいる部活に早く出たい、と」


「・・・・・・・」


「だから、辞めるなんて言うな」


「・・・・・・・・」


「解ったのか?」



コクリと首肯すると、なら良し、と小さく呟く。



「さっきの続きだ。セットスコアでは0はloveではなく・・・・・・」


耳心地良い、先輩の声にうっとりとする。

うっとりとしながらも、一言も聞き漏らすまいと気合いを入れた。


胸には、少しでも多くマネージャーとして、選手皆の、そして先輩の役に立ちたい―――――――・・・。

そんな強い思いを抱きながら。












Iron determination. closed.
柳は父性愛に溢れていそうだと思います。





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