甘酸っぱいセンチメンタル
目の前の光景に呆然とし、思考回路がちっとも動かない。
何故だろう、引退したはずの宍戸先輩の姿がコートにある。
「ちょ、長太郎くん!」
慌てて近くにいた長太郎くんを捕まえようと呼びかける。
振り返った長太郎くんは、
「あぁ遅かったね?おはよう、」
・・・・・と、にこやかに挨拶をしてくれたが、私は挨拶する所ではない。
「な、何で宍戸先輩・・・・・・!?」
右端のコートを指さして早口で捲し立てる。
「何をそんなに驚いてるんだい?」
不思議そうな長太郎くんの物言いに、思わずお前は何故驚かないと言い返してやりたくなる。
けれど、育ちの良いお坊ちゃんにそんな汚い言葉遣いで話しかけるのは如何なものか。
自問自答で何とか憤りを抑えつつ、毎度のことながらと切なくなってしまう。
感性の違いは時に悲劇を生む、それは鳳長太郎に教えられた教訓である。
「・・・・・・・・だって先輩たち、引退したじゃない」
早すぎる引退だった。
先輩方のほとんどが内部進学とはいえ、大会後の引退が原則と規則にある為、皆早々に引退してしまったのだ。
「うん。でも、夏の間は僕らの指導してくれるんだって」
たまに部長とかも来るみたいだよ、と微笑む。
新部長は未だ決まっていない。部長とは、十中八九跡部部長のことだろう。
「嬉しそうだね、長太郎くん」
「そりゃ嬉しいよ。だって嬉しいだろう?」
「そりゃまあ、嬉しくない訳じゃないけど」
横目で宍戸先輩を見ながら、長太郎くんが犬だったらば尻尾がブンブン揺れているんだろうなと思う。
素直で結構な事だ。
「・・・・・私も長太郎くんみたいだったらよかったんだけど」
「え?」
「・・・・・・何でもない。コート行こっか」
ごめん、コートに行く途中で呼び止めて。
そう言うと、長太郎くんはそんなの謝らなくてもいいのに、と微笑んだ。
――――――――本当に、私が長太郎くんのように素直だったらいいのに。
「マネージャー。手ぇ止まってるぞ」
ハンドタオルで額を拭いながらスコア表を指差す。
顔を上げなくとも日吉だと解るが、反射的に上げてしまった瞳は日吉のそれとかち合った。
「相変わらず嫌味な声ね」
「宍戸先輩の登場にソワソワしてる誰かさんに比べりゃマシだ」
キ、と睨み付けると日吉は肩を竦めた。
ムカムカしつつ、声のボリュームを抑えながら言う。
「大きな声で言わないでよ。アンタと部長以外にはバレてないんだから」
プイ、と顔を背けてスコア表に集中―――――出来るはずもないので、集中しているフリをする。
ポーカーフェイスは下手ではないので、自分の感情を隠すのはそんなに難しくはないはずだった。
実際、上手くやっていると思う。誰も気付かないはずだった。
――――――――私が宍戸先輩を好き、なんて。
それなのに、何故か日吉と跡部部長にだけはバレている。
どうやら、ひねくれ者はひねくれ者の感情の機微に敏感らしい。
その証拠というか、私は跡部部長が今の彼女とくっつく前から「あー、部長あの人が好きなんだなぁ」と気付いたし、日吉が幼馴染みの女の子が部活を観に来ていると若干テンションが上がるのも知っている。
跡部部長はくっついたので周知の事実となったが、日吉に関しては知る人はいないだろう―――――――私以外に。
それ位、日吉はひねくれている。
幼馴染みは日吉に嫌われているのではと悩みこそすれ、好かれているなんて微塵も思っていないのではないだろうか―――――まぁ、私が言うのも何だけど。
フゥ、と汗を一通りタオルに染み込ませた日吉が吐息を吐いた。
当然だが喉が渇いている為、掠れている。
「ゲーターレードあるよ、部室に」
部室の方を指差しながら言うと、日吉は「あぁ、サンキュ」と呟いて私の傍から消えた。
お礼の言い方が日吉っぽくなくて、苦笑が漏れた。
サンキュ、なんて言う日吉が見られるのは私くらいじゃないか?
そして、もっと特別な日吉を見ることができるのは、幼馴染みのあの子なのだ。
「オラ、ボーッとすんな!」
先程日吉に注意されたことを同じことを言う宍戸先輩の声に、ギクリとした。
けれど先輩は私に向けてではなく、準レギュラーに向かって吠えているらしいと気付き、ホッと胸を撫で下ろす。
コートで叫びながら動き回る先輩が眩しくて、目が細まる。
太陽の光が眩しい時と同じ目の動き。
いっそ、太陽だったら良かったのだ。そうすれば手が届かないのに。
そこまで考えて、自分の喩えに身悶えする。何だこれ、ポエム?
――――――――それに、程なく宍戸先輩は手が届かなくなる。
高等部と中等部じゃ世界が違う。
いくら同じ「氷帝学園」という括りの中だろうと、中学と高校じゃ遠い。
そして、告白をするには「氷帝学園」という括りがネックだった。
受け入れてもらえるならいい。けど、もし断られたら?
―――――そう考えると、貝のように固く、口を閉ざすしかなかった。
独りで泣いて泣いて、泣きやんだらまた泣いて。
そんなことを繰り返して消化したはずの気持ちが再燃するのが解る。
どうしよう、と思ってももうどうしようもない所まで来てしまっている。
まったくタイミングが悪いというか、罪作りなお人だ、宍戸先輩は。
そんなことを飽きもせず考え続けていると、疲れたらしい宍戸先輩がこっちに向かってくるのが見えた。
「おう、。久しぶりだな」
「お久しぶりです、宍戸先輩」
先輩は基本、後輩のことは名前呼びする。
例外は樺地くんくらいじゃないだろうか?
挨拶と共にペコリと会釈をする。
ベンチから立つのは、スコア表を付けているのを理由に勘弁してもらう所存だ。
「ビックリしましたよ、部活来たら宍戸先輩がいるものだから」
「ハハッ、でもそのうち跡部たちも来ると思うぜ?」
言いながら、何の気なしにベンチに腰掛ける宍戸先輩が心底憎い。
私の隣、ってことなんか意識してないんだろうけどこちとら意識しまくりなんですって。
「・・・・・長太郎くんに、宍戸先輩が来るのは夏の間って聞きましたけど」
正確にはいつまでなんです?と問うと、先輩は頬を掻いた。
「正確にって言われてもな・・・・・。まぁ8月いっぱい、か?」
「質問に疑問系で答えないで下さいよ」
悪い悪ィ、と言いながら、ちっとも悪いと思ってなさそうな笑顔を向けてくる。
畜生、惚れた弱み!格好良くて仕方ない。
「まぁ大目に見て、2ヶ月くらい、ってことですよね・・・・・・引退まで」
「そうだな。・・・・何だ、変な顔して。寂しいのか?」
「大丈夫ですので、ご心配なさらず」
反射的に出た天の邪鬼な言葉に、宍戸先輩は声をあげて笑った。
「そうだな、それでこそだ」
「私が寂しがらなくとも、長太郎くんが私の分まで盛大に悲しんで寂しがってくれますよ」
ひねくれ者は、本当にどうしようもない。
私しかり、幼馴染みに解り易い優しさを向けられない日吉しかり。
あと2ヶ月くらい。
その期間で、告白する決心が出来るか否か。
出来なければ、私はまた繰り返すのだろう、あの涙の日々を。
それは簡単に想像出来るのに、告白出来た場合がちっとも想像つかない。
受け入れられるのはもっと、だ。
断られて気不味くなるのは簡単に想像出来るんだけど・・・・・虚しいのでしたくない。
「宍戸さーん!」
休憩に来たらしい長太郎くんが、私たちの方に走ってくる。
その様は、まさに尻尾を振り回す犬だ。
宍戸先輩にしてみれば、可愛くて仕方ないのだろう。おう長太郎、と片手を上げている。
「いやー、でもホント俺嬉しいッス!宍戸さんとまた練習出来るなんて」
「大袈裟だろ。練習くらい、その気になりゃいつだって一緒に出来んだろが」
「それはそうですけど、宍戸さんが高等部に行っちゃったら難しいじゃないですか」
ひねくれ者にしてみれば、正直者の言葉は毒だ。
自分と比べてみて、あまりの潔さと白さに殺られる。
「そうそう、さっきとも話してたんですよ。嬉しいねって」
なぁ、。
ニコニコと言う長太郎くんの言葉に、私はボールペンを落とした。
「・・・・・が?」
宍戸さんも、意外だったらしくポカンとしている。
恥ずかしくて落としたボールペンを拾おうと屈むと、追い打ちをかけるように、
「えぇ、さっき「嬉しくない訳じゃないけど」って言ってましたから!」
ハキハキと答える長太郎くんに、殺意が湧いた。
ボールペンを握りしめながら上体を起こし、
「長太郎くん。部室にゲーターレードあるから飲んできなよ」
低い声でそう言うと、長太郎くんは満面の笑みでお礼を言った。
パタパタと長太郎くんが部室へ駆けていくと、ベンチには気不味い沈黙が残った。
長太郎くんのせいだ、と忌々しく思っていると、ポツリと宍戸先輩が呟くように、
「――――――――俺に対しても、たまには素直だといいんだが」
「・・・・・・なっ!」
「長太郎相手だと割と素直だよな、は」
「・・・・・そんなこと」
「あるぞ、そんなこと」
「・・・・・・・・長太郎くんにつられてるだけです」
苦々しく言うと、先輩は苦笑した。
「、お前素直な方が可愛いよ」
「――――――――ふぇっ!!?」
サラリと言われた言葉に、素っ頓狂な声をあげてしまった。
でも、無理ないと思う。好きな人に「可愛い」なんて初めて言われたのだ、私は。
私の声で宍戸先輩も己の言葉の持つ意味に気付いたらしい。
慌てたように口を開くものの、アーとかウーとか言葉にならない。
しばらくウンウン唸っていたが、やがて耐えかねたように、
「俺もゲーターレード飲んでくっからよ」
そう言い残し、部室へと走っていった。
「・・・・・・・・・」
その後ろ姿をぼんやりと眺めながら、私は未だに決心出来ずにいる。
けれど、告白出来ても出来なくても、きっと私は涙を流すのだろう。
嬉しい涙か、悲しい涙か。鬼が出るか蛇が出るか。凶と出るか吉と出るか。
――――――――気は重いけれど、少しは頑張って素直になってみようと思う。
たった2ヶ月だけれど、そうすれば何かが劇的に変わるかも知れないし。
お題提供:リライト
氷帝企画サイト「Prince!Prince!」提出作品。
微妙な終わり方だと我ながらぼんやりです。
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