一瞬、何が起きたのかサッパリ解らなかった。

「キャア」という小さな悲鳴が聞こえた、と思った矢先、ドカッと背中をどつかれて。


―――――そして、後は階段を真ッ逆さま。











紛れた寂しさ










「大丈夫か!?」


慌てた声が、バタバタという足音と共に降りて来る。

痛む上体を何とか持ち上げ、声の主に目をやると、心配そうな顔の白石蔵ノ介がいて。

重みを感じて視線を下ろすと、下半身にが被さっていた。

彼女は女子の中でも小柄な方だが、なかなか重い。日本舞踊の家元の生まれで、筋肉がしっかり付いている為だろうと推測される。




―――――彼女が「キャア」と言ったのか。




画点がいき、軽く頷く。

どうやらが階段を踏み外し、その落下に私が巻き込まれたようだった。

「うぅ」と小さく唸ったがそろそろと体を持ち上げた為、重みからは直ぐに解放され、ホッとする。





さん、さん、大丈夫か!?」


白石蔵ノ介が私たちの傍に屈む。

心配そうに様子をうかがっていた彼の視線が、私の右足首で不意に止まった。

右足首が変な方向を向いているからだ。

傍目には痛そうだったが、落ちた衝撃で麻痺しているのか、正直あまり痛くはない。

しかし、白石蔵ノ介は痛々しげに眉を顰め、ポツリと言葉を落とした。




さんの方が怪我、酷そうやな」


彼のこの言葉は、私に衝撃を与えるのに十二分の威力を持っていた。

あんぐりと口を開けた私に向かって怪訝そうな顔をしている白石蔵ノ介を見詰めながら、しみじみと思う。

白石蔵ノ介はどこまでも出来た人間だったらしい、と。










私の下半身に俯せに覆い被さっていたは、白石蔵ノ介と同じ立ち位置にいる女子だ。

校内美男美女ランキング上位入賞者。顔立ちが恐ろしい程整っている人々。

男子の一位が白石蔵ノ介だと思われ、は女子の一位だと思われる。・・・・あくまで私の主観だけれど。

の顔は可愛らしく、同時に美しい。

目は切れ長の一重にも関わらず、それ故に涼しげで―――目がパッチリしているだけが女の可愛さではないのだな、と驚いたものだ。

楚々とした美人の彼女には、コッソリと、歩く京人形なる異名が付いている。



その歩く京人形―――ここは大阪だが―――なる異名を持つさんと、平凡の見本のような私を等しく扱うとは恐ろしい男だ。

一般的な男だったらば私なぞ軽く無視して「さん、大丈夫?」と叫ぶだろうに。

この男は、京人形とお近づきになる絶好のチャンスを無にする気なのだろうか?、と首を傾げる。





もう一度、白石蔵ノ介の言葉を頭の中で反芻してみる。

彼はこうのたまった。


さんの方が怪我、酷そうやな」



確かに私の足首はあらぬ方向を向いており、捻ったことは明らかであるが、白い肌に青痣が浮かぶさんの御々足の方が何倍も痛々しく見えるのが男心というもの。

ここはあれだ、下心を巧みに隠して「歩ける?さん」と言うが良し。

彼女が「大丈夫」と無理をおして立ち上がり、「・・・・・痛ッ!」と呟きながらよろければ、彼女を背負う大義名分を手中に収めることが出来るはずだ。

運が良ければ京人形の柔らかな胸の膨らみを背中で感じることも出来てしまうかもしれない。

――――男冥利に尽きるではないか。






そこまで考えて、マジマジと白石蔵ノ介を見詰める。

成績は良く、それがまた彼の人気を高めていたように思うが、意外にアホなのかもしれない。



「大丈夫やから」


掌で、今にも手を貸そうとしそうな白石蔵ノ介を制しながらスクッと立ち上がる。


「あいたッ!」


予想以上に、右足首が痛かった。





「嫌やわ、さん大丈夫な訳ないやん。ごめんなぁ、私が足滑らしたさかいこないなことに・・・・」



可愛らしい声で、京人形が恐縮して縮こまる。

白石蔵ノ介に負けず劣らず、さんも出来た人間なのだ。

彼女のような女の子はやっかみを買うことが多いが、あまりに出来杉くんを地で行く為、「まぁ、あの子ならしゃあないわ」と認められている。

白石蔵ノ介とくっついても、彼女なら仕方ないと、白石蔵ノ介にホの字の皆が涙を飲むことだろう。


ちなみに私と白石蔵ノ介がくっつけば、私の靴にはカマドウマが10匹はぶち込まれること必至である。

まぁ、私が白石蔵ノ介とくっつく可能性はミジンコ程もないので問題ないけれども。






「大丈夫、大丈夫。わざと滑った訳やないんやし、心配せんといて」


ヒラヒラと掌を揺らしてヘラリと笑う。

必殺、日本人的曖昧笑顔攻撃。笑顔で誤魔化す、私の得意技だ。

大抵の人間はこれで説き伏せることが出来る。



しかし困ったことに、この攻撃は白石蔵ノ介には効かなかった。




「あかん」


ピシャリと、水を打つように白石蔵之介が言う。


「明らか捻っとるやろ、コレ。捻挫甘ぅ見たら厄介なことなるで。大人しく保健室行き」

「・・・・・そない怖い顔せんでも、ちゃーんと保健室は行くで?」


あまりに真剣な顔の白石蔵之介に、マジなのかボケなのか判断しかねる。

とりあえず笑いを大切にする校風に則って茶化しておいたが、白石蔵ノ介は大真面目な顔のままだった。

どうやら真剣だったらしい。

茶化してしまったことへの罪悪感が、チクリと良心を刺した。






白石蔵ノ介がフゥと、艶めかしく吐息を吐く。

私にはそうとしか見えなかったが、彼の表情から察するに、吐息ではなく溜め息を吐いたようだ。

美形は何をやっても絵になる、と感心している私に、白石蔵ノ介は静かに問うた。



「その足で、どうやって保健室まで行く気や」


痛くて歩けへんやろ、と私の右足首を指し示す。

確かにこの右足をひきずって歩くのは困難である。しかし、左足は無事。



「・・・・・・・まぁ、ケンケンで」


それしかないだろう、と述べた私の言葉に、白石蔵ノ介は険しい表情になった。

信じられへん、と前置きした後、彼は怒鳴るように言葉を継いだ。



「アホか!ここは3階、保健室は1階やぞ。ケンケンで階段下ってまた怪我したらどうすんねん」



鋭いツッコミは正論である。・・・・・が、この流れはマズイ。非常にマズイ。

白石蔵ノ介の好青年っぷりから言って、「俺が運ぶ」と言いかねないのでは――――。










グルグルと頭の中を巡っていた懸念は、直ぐに的中した。

白石蔵ノ介は、生真面目な顔をして、私を絶望へと叩き込んだ。


「俺が運んだるから、さんは大人しくしとき」



ああ――――――やっぱり!

言うと思った!言うと思ってたけど、アンタがそんなことしたら私の上靴にカマドウマが・・・・・っつーかそれ以前に私が白石蔵ノ介ファンの女子にシメられてしまうではないか。



そんな目に遭うのはごめんだ、と辞退の決心を固くする。


「否!悪いし、私重いし!」



ブンブン左右に手を振りながら言うと、白石蔵ノ介は目を丸くした。それからプ、と吹き出すと、



「何言うてんねん、さん細いやん」


それに、部活で鍛えているから大丈夫だと告げる。

確かに白石蔵ノ介は強豪と名高い男子テニス部の部長を務めており、彼の弁には嘘偽りなく、真実白石蔵ノ介の肉体が部活で鍛えられているだろうことは十二分に理解できるが、そんなことは今はどうでもいい。




「否、だから・・・・・・」


アンタが良くてもこっちが良くないんだっつーの!


喉まで出かかった本音を必死で飲み込む。

これもこれで言ったが最後、どこからか噂が流布し、白石蔵ノ介ファンに「あの女、白石くんの好意を何だと思ってるのよ!」となる。

確実にカマドウマの刑だ。



そして、運ばれてもカマドウマである。

万事休す。否、しかし私の平穏な生活の為にも諦める訳にはいかない。

そうだ、安西先生も仰っているではないか、「諦めたら試合終了ですよ」と!



脳味噌を、脳髄が痺れる程にフル稼動させるつもりで考える。

火事場の馬鹿力というか、人間やる気になれば何とかなることもあったりするものである。

キラリと、天命が閃いた。






「白石くん」


ジ、と真顔で白石蔵ノ介の瞳を見詰める。


「何や?」


蛇のようにジットリと見詰めてもちっとも動じていないのは、やはり美形が故に普段から見られなれているからだろうか。

それどころか同じようにジィ、と見詰められ、ドギマギしてしまう。




「あんな。テニス部、大会近いんやろ」

「せやな。地区大会まで一月切っとる」

「ほな、私を運ぶのはやめとき」


カク、と白石蔵ノ介が首を傾げた。

お前の言ってることが解らんというジェスチャー。

残念なことに、私の意図は言葉足らずで伝わらなかったようだ。

仕方がないので、フゥと溜め息を吐いて解説をする。



「スポーツ選手っつーのはアレやろ。自己管理も大事なんちゃう? 別に白石くんがヤワやと思うてる訳やないけど、私を運んで腕の節でも痛めたらアカンやん。どんな小さなもんでも、リスクは回避せんとチームメイトにも迷惑かかるで。ついでに、リスク背負うんアンタが良くても、私が良くないねん。アンタにリスク背負わせるくらいやったらケンケンで階段転げ落ちる方が100倍マシや」


ガーッと撒くし立てた為、ゼイゼイと息が切れる。

白石蔵ノ介は、そんな私をキョトンとした表情で見ていた。

だが、やがて得心したように軽く頷くと、ニッコリと微笑み、極上の笑みを私に向けた。



さん、おおきに」

「・・・・・こちらこそ、心配してくれてありがとうな」






こんな会話を交わし、私は保健室まで付いてくると言うと、何度もやっぱり運ぶと言い出す白石蔵ノ介を無理矢理振り切り、逃げるようにケンケンで保健室まで行った。

運動神経がそんなに悪くなく、それなりに器用なのが幸いし、白石蔵ノ介が心配したように転がり落ちることはなかった。
























―――――後から考えてみれば、これがキッカケだったのだ。

何という運命の悪戯だろう。

本来ならば私と白石蔵ノ介の邂逅はこれで終了するはずだというのに、気紛れなのか、意図が読めない神様は、何故か私と白石蔵ノ介を接近することにされたらしい。

驚くなかれ、私は神様のお導きにより、白石蔵ノ介に気に入られてしまったらしいのだ。


クリスマスやお正月などのイベントを除き、普段は無神論者の癖に調子が良いが、そう思わないと説明が付かない。




私と白石蔵ノ介は、同じクラスになったことはない。

なのに何故、と階段から転げ落ちた際、白石蔵ノ介が私を知っていたかというと、金色小春に一度だけ英語の実力テストで勝ったことがあるからである。

金色小春といえば、IQ200の天才児であり、テストでは常に全科目トップの有名人だ。

その彼に、私は一度だけ勝った。たまたまである。



皆が難しかったと嘆いた長文問題のテキストを、ラッキーなことに私は以前読んだことがあり、スラスラ解くことができたのだ。

元々英語は苦手ではなく、実力テストに向け、集中的に勉強もしていた。

これら全てが相乗効果を上げ、金色小春を抑えての1位という結果となって表れたのだ。


金色小春を抑えたといっても、点差は僅か2点。

しかし、天才・金色小春が僅か2点差であろうと負けたという事実が四天宝寺に与えた衝撃は大きかった。

私は一躍時の人となり、私の校内知名度は急激に上昇したのだった。




―――――まぁ、そんな訳で、私は四天宝寺では一定の知名度がある。

だから、白石蔵ノ介も私を知っていたのだ。それは理解出来る。



しかし、知っていたといっても所詮は「名前と顔が一致する」程度の話。

実際話したことはなく、あんな事故がなければ話すこともなかったはずだ。

しかし、何だかんだで話すキッカケが生まれ、その際、私は白石蔵ノ介にとって「オモロかった」らしい。

これは、本人の弁である。




事件後、何故か白石蔵ノ介は私に話し掛けてくるようになった。

お陰で私は彼のファンに「白石くんに色目遣うてるんとちゃう?」と妙に勘繰られ、不快だ。迷惑な話である。

そこで、「話し掛けてくんな」という意味を込めてこう訊いたのだ。




「白石くん、私に何か用事でもあるん?」



ないなら話し掛けてくるな。言外にそう言ったつもりである。

お前のファンが怖いんじゃ、という本音は何とか飲み込んだ。言ったらもっと怖いことになるに違いないから。

そんな私の努力など知らぬ白石蔵ノ介は、「んー」と艶めかしく唸った後、こうのたまった。


「特に用はあらへんけど。さん、オモロイから話したいなー、思て」


この爆弾発言は瞬く間にファンの間に広まり、その後私は生きた心地がしなかった。

ちなみに、今でも生きた心地はしていない。












面白いと言っても、しばらくすれば飽きるだろう。

そう踏んでいたのだが、予想外に白石蔵ノ介は私に話し掛け続けた。

その為、白石蔵ノ介のファンのやっかみも止まなかった。

迷惑な話である。私はそんなことは望んでいないというのに。








そんな不安定な日々を送っていたある日の放課後、私は階段を上っていた。

机の中に読みかけの本を置いてきてしまい、取りに戻っていたのだ。


騒がしい音が近付いて来るのには気付いていた。

何やら叫んでいるらしい奇声と、ドタドタと階段を駆け下りる音。

落ち着きのない男子生徒が階段を下っているようだ、くらいの認識はしていたものの、学校では別に珍しくもない音なので、特に気には留めなかった。

―――――これが間違いだった。




音は段々大きくなり、奇声の主は着々と私に近付いて来たが、相変わらず私は何とも思わなかった。

2
階への階段を上りきり、3階への階段の1段目に足を掛けた時。




「オリャ――――――ッ!」


先程から聞こえていた奇声の主の声が、前方上空で響き渡った。

反射的に顔を上げると、


「あ」


奇声の主と、目が合った。

テニス部の1年エースと名高い遠山金太郎少年だった。

彼は宙を舞いながらポカンとした表情をした後、




「よ、避けてや――――――!」




階段を飛び降りる遠山金太郎少年の叫び声を聞きながら、私はこう思っていた。

―――――デジャブ、と。




そして、そんなことを思ったのは、既に遠山金太郎の下敷きとなった後だった。

重さと衝撃に、「ぐぇ」と色気のない声が口から飛び出す。




―――――何だ?最近の私にとって階段は鬼門なのか!?


痛む腹部に「うぅ」と唸ると、ハッとしたように遠山金太郎少年が私の上から退いた。

重みが消えたが、痛みは消えない。

ジクジク痛む腹部を押さえて「痛い」と小さく呻く。






「す、すまん姉ちゃん・・・・・!大丈夫か?」


慌てたようにそう言いながら、ワタワタと踊り場に仰向けに寝転がったままの私を助け起こす。

そんな遠山金太郎少年を見ていると、大丈夫だと言ってやりたくなる。


「・・・・・・まぁ、大丈夫、かな」



腹の底では、大丈夫な訳あるかボケェ!と思いつつも、本音を呑み込む。

腹部に思いっ切りボディブローを喰らわされたようなものなので、正直吐きそうだった。





「ホンマ、すまん!ワイ、もう直ぐ部活やー思うたら嬉しゅうて嬉しゅうて、つい・・・・」

「―――つい、階段を飛び下りようとしたんかい」


呆れ混じりでツッコミを入れる。

関西人・・・・というか、大阪人の悲しい性だ。

幼い頃から吉本新喜劇を観て育ってしまうとこうなる。


新喜劇は、何回も同じネタを観ているからオチも読めているし、別に面白くはないのだ。

でも、何故か観てしまう。

それに、観ていないと話題に付いていけなくなる。

皆が観ているから観る、日本人の特徴・右に倣え的な理由だ。


とにかく、新喜劇だけでなく、笑いを大切にする我が四天宝寺の方針もあり、ボケを目の前にしてツッコまないなど言語道断である。

そんな訳で、私はとりあえず遠山金太郎少年にツッコんでおいた。


すると、遠山金太郎少年は嬉しそうにヘラッ、と笑った。

こちらとしては笑っている場合ではなかったものの、遠山金太郎少年の笑顔にすっかり毒気を抜かれてしまい、怒る気力が失せた。




「もうえぇよ。大丈夫やから。部活なんやろ?早よ行き」


シッシと犬を払うような仕草で言うと、遠山金太郎少年は笑顔を引っ込め、困ったような顔をした。

喜んで走って行くと思ったので、意外だった。



「・・・・・・何や?」

「姉ちゃん、ホンマに大丈夫か?」


幼い表情に酷く不似合いな、心配そうな顔で言う。

ハの字に垂れ下がった眉が、何だか犬を思い起こさせて可笑しい。



「大丈夫言うてるやないの」


今度は私がヘラッと笑ってみせる。

しかし、遠山金太郎少年は納得いかないらしく、難しい表情のままだった。

おずおず、という調子で私の足首に目をやる。





「せやったら、姉ちゃん―――――歩けるん?」


その足で、と遠山金太郎少年が示した私の足首は、あらぬ方向を向いており、明らかに捻ってしまっていた。



―――――――おぉう、またもやデジャブ。



冷静に、そんなことを思う。

言われてみれば、確かに足が痛む。これは歩けないかもしれない。

この前のの時との違いは、捻った足が逆ということだろうか。




「あ―――――・・・・」


返答に困る私に、遠山金太郎少年は「せやろ」と得意気に言った。

得意気なのは別に構わないが、お前がやったんだろとツッコんでやりたくなる。




「保健室行かなアカンで、姉ちゃん」

「せやなぁ、保健室行かなアカンなぁ・・・・・あ!?」


遠山金太郎少年の最もな発言に相槌を打ち終わらないうちに、体が宙に浮いた。

何じゃらホイ、と思いきや、どうやら遠山金太郎少年に担がれているようだった。



「ちょお・・・・遠山くん。降ろしなさいな。重いやろ、肩壊すで」

「別に姉ちゃんそんな重ないで?」


あぁ、ええ子やな―――――と思いつつ、目の前に広がるヒョウ柄の背中に向けて言葉を紡ぐ。



「否々、こんな時にヨイショせんでもえぇがな。お姉ちゃんの体重が重いか軽いかはお姉ちゃんが一番よう解っとる」

「姉ちゃん、軽いで」

「えぇ子やなー、遠山くん。後で飴ちゃんあげるわ。・・・・でもな、いくら君が金太郎くんやからって、鉞担ぐみたいに私を担がんでもえぇねん。降ろしや」

「あはは、まーっさかりかーついだきーんたろっおーっ!の歌が元ネタやな?姉ちゃん、オモロイこと言うなぁ」

「そんなんえぇから降ろしや」

「あはは、姉ちゃん。大丈夫やから、安心してや――――!」




良い子なのだが、人の話を聞かない。

そんな遠山金太郎少年は、私を担いだまま、走り出した。

その為、



「ちょお、人の話を聞けぇぇぇえええぇぇぇえええぇ!」



情けない私の叫びだけが、踊り場に残されることとなった。



























ドカドカと盛大に足音を轟かせながら走る遠山金太郎少年は、非常にパワフルだった。

この子は本当に去年まで小学生だったのだろうかと首を傾げたくなる程に、パワフルだった。

そんな彼のパワフルさに圧倒されるばかりだった私は、気付いた時には荷物のように保健室へと運ばれていた。


バシーン!と勢いよく扉を蹴り開けながら、遠山金太郎少年が叫ぶ。


「先生ぇ、急患や!」


私を担いだまま、ドタドタと保健室に入室する。

困ったことに、遠山金太郎少年はドアを閉めず、そのまま開けっ放しにしたままだ。


ツンと消毒液の臭いがする保健室。

本来ならば静寂が保たれるべきそこで、静寂を打ち破る遠山金太郎少年を諫める声が、静かに響いた。


「金ちゃん。ここは保健室やで。静かにしぃ」



遠山金太郎少年は、私のお腹を彼の肩に乗せるように担いで、ここまで連れて来た。

その為、私の視界は常に遠山金太郎少年の背中で占領されており、何も見えていないと言っても過言ではない。

しかし、私は遠山金太郎少年を諫めた人物が誰か、声だけで理解した。

そして、理解すると同時に私の背中に戦慄が走った。

―――――――この無駄に色気のあるカッコイイ声の主は。



「おぅ、白石ぃ!・・・・何や、先生おらんのか?」


肝心な時におらんでどないすんねん、と言いながら、遠山金太郎少年が私をベッドへ下ろす。

パフン、と柔らかい布団がクッションになる感覚にホッとする。

遠山金太郎少年の肩の乗り心地は正直あまり良くなかったのだ。

地に足がつくことに安堵していると、ポン、と隣に鞄が放られる。

紛れもなく私の鞄である。遠山金太郎少年が一緒に持ってきてくれたらしい。

私を担いでいたのに器用だなぁ、と驚く。





「しゃあないやろ、先生かて四六時中保健室張り付いてる訳いかへんねん。せやから先生の代わりに保険委員が在中してるんや」


ピシャリと遠山金太郎少年を窘めながら、


「――――で?どないしてん、金ちゃんが連れてきた子」


幸か不幸か、遠山金太郎少年の体が衝立の役割を果たし、白石蔵ノ介は私の顔を見られない状態だ。

しかし、気付かれるのは時間の問題。

仕方ない、と腹を括り、小さく溜め息を吐く。




「困ったことに、また足を捻ってしもてん」


ヒョイ、と遠山金太郎少年の体を避けるように顔を覗かせると、白石蔵ノ介とガッチリ目が合った。

白石蔵ノ介は私の顔を認めると、目を丸くした。





「―――――さん」


「何や、白石。姉ちゃんと知り合いなんか」


白石蔵ノ介が私の名前を呼ぶのを見て、遠山金太郎少年がニカッと笑う。



「姉ちゃん、言うんかぁ」


確認するように何度も頷きながら、ふと思い立ったように「せや」と呟く。

バチン、と手を打つと、


「自己紹介が未だやったな。ワイ、遠山金太郎いいますねん」


よろしゅう、と差し出される左手を反射的に受け取る。



です。よろしゅう、遠山くん―――ちなみに、握手は普通右手でするもんやで」


苦笑しながらツッコミを入れると、遠山金太郎少年は、


「へぇ、そうなんやぁ」


と悪びれもせず、あっけらかん言い放ち、今度は右手を差し出した。

やり直し、ということらしい。

右手を握ると、遠山金太郎少年は嬉しそうにブンブンと大きく上下に腕を振った。

―――何だか握手ではなく、パントマイムでもしているかのような気分だ。


改めて遠山金太郎少年と握手を交わし終えると、それを待っていたらしい白石蔵ノ介が口を開いた。





「――――で?どないしてん、さん」

「・・・・あ――――・・・・」



説明し辛い。何と言ったら良いものか。

グルグルと頭を悩ませている私を余所に、遠山金太郎少年はスパッと説明をした。



「あんなぁ、白石。ワイが階段から飛び降りたら、の姉ちゃんが下におってな?下敷きにしてしもうてん」


簡潔に、事実だけを口にしたにも関わらず、遠山金太郎少年の表情は曇っていた。

始めは私に気兼ねしているのかと思っていたが、どうやらそうではないらしいと気付く。

遠山金太郎少年は、さっきから私ではなく白石蔵ノ介ばかり気にしている。

それも、何だか―――先生に怒られるんじゃないかとビクビクしているような素振りで。



「金ちゃん」


白石蔵ノ介の美声が室内に染み渡るように響くと、遠山金太郎少年が身を固くした。

本気で怖がっているらしい。


「自分、何やってるん――――」



はぁ、と白石蔵ノ介が大仰に溜め息を吐いた。

あまりの色っぽさに、女として何かに負けたような気がする、艶っぽい溜め息だった。


「ワ、ワイ、もうすぐ部活やー思うたら嬉しゅうて・・・・・だから、そのぅ」


明らかに後輩の愚行を怒っている白石蔵ノ介に対し、遠山金太郎少年はオロオロと弁解する。

白石蔵ノ介に本気で恐怖を感じているらしく、声が震えている。

しばらくモゴモゴと何か言い訳らしきことを口にしていたが、やがて腹を括ったようにキッと顔を上げた。


「ホンマ、の姉ちゃんには悪いことした思うてる!・・・・せやから白石、毒手だけは勘弁してやぁ!」


大声で叫ぶ遠山金太郎少年の形相は必死だったが、私には意味が解らなかった。



ドクシュだけは勘弁?――――ドクシュってなんだ?



聞き慣れない言葉に、部活のペナルティか何かかと首を捻る。

「嫌や嫌や」と叫びながら、ブンブンと頭を振り回す遠山金太郎少年の後ろで、白石蔵ノ介が苦笑しながら左腕を私に示した。

白石蔵ノ介の左腕には、トレードマークの包帯が巻かれている。



そういえば、と白石蔵ノ介の左腕を視界に収めながら思う。

何故白石蔵ノ介が常に包帯を巻いているのか、噂は多々聞いたものの、真相は知らない。

――――蒸れて痒くなったりとか、うざったくて外したくなったりはしないのだろうか?



そんなことを考えていると、白石蔵ノ介がおもむろに左手を胸の前に掲げ、肘の辺りにあった留め具を外す。

そして、シュルシュルと包帯をほどき始める。



「せやなぁ、俺も毒手は封印しておきたいところやけど・・・・・金ちゃんのおイタがあんまり過ぎると、そうもいかんなぁ」

「・・・・・あの、」



話と展開に付いていけず、思わず私が口を挟もうとすると、


「ヒィィイィ・・・・・!」


遠山金太郎少年少年の悲鳴に遮られた。

遠山金太郎少年は、ワタワタと後退りながら「毒手嫌や」と繰り返している。



の姉ちゃん、助けて!」


ヒィヒィ言いながらベッドに飛び乗り、私の後ろに隠れ、


「毒手怖い〜〜〜〜〜!!!」


情けない声色で「毒手嫌や」「毒手怖い」を連呼しながらしがみついてくる。

――――何なんだ、これは。




「ちょお、白石くん。ドクシュ、ドクシュて・・・・何やの」


背後で震えている遠山金太郎少年を見かねて尋ねると、白石蔵ノ介は右人差し指で左腕を示した。

ほどきかけた包帯が右手を離れ、ダラリとだらしなく垂れ下がる。

それを見ながら、ようやくドクシュが何か理解する。



「――――あぁ、「毒手」か。聞いたことあったわ、噂で」


白石蔵ノ介の左腕は毒手だ、という噂があった。

触れられると毒気にあてられて白石蔵ノ介にメロメロになる、とかそんな下らない噂だったと記憶している。

冷静に考えてそんなことはありえないのだが、どうやら遠山金太郎少年はそれを信じているらしい。

毒気にあてられて白石蔵ノ介にメロメロにされるのが嫌なのか、とぼんやり思う。

――――たしかに、解らないでもない。女ならともかく、男が男にメロメロというのは少々気持ちが悪い。



「噂?噂って、何や?」

「しゃーないやろ、有名税って奴や。それに、慣れっこやろ。噂の種になるんは」


訝しげな白石蔵ノ介を説き伏せると、「直球やなぁ」と苦笑された。

しかし、否定はされなかったので、恐らく納得しているのだろう―――不本意ながらも。



の姉ちゃん、何難しい話しとんねん!?早く助けてぇな」


相変わらず子泣き爺よろしく背中にベッタリと張り付いている遠山金太郎少年が、声を裏返しながら叫ぶ。

白石蔵ノ介の包帯がほどけかかっているのがよほど怖いらしい。


ガッチリと肩胛骨の下辺りの肉に爪を立てるようにしがみつかれている為、正直痛い。そしてウザイ。

仕方がないなぁと呟き、白石蔵ノ介に向き合う。

よく見れば見る程、端正な顔の男だ。これぞイケメン、という顔をしている。





「白石くん、遠山くんが怖がってるやないの。止めたげなさいな」


弱い者イジメ格好悪いで、と適当に囃し立てると、白石蔵ノ介は目を丸くした。

そして、「弱い者イジメて・・・・・」と脱力したように、艶めかしい吐息を吐くと、大人しく包帯を巻き直し始めた。

慣れているのだろう、直す手際が早い。あっという間に留め具の出番となった。


カチリと留め具が留まったのを確認し、背中の遠山金太郎少年に声を掛ける。





「――――遠山くん。もう毒手は仕舞ってもろたから、えぇ加減に離してくれへん?」


肩越しに遠山金太郎少年の様子を窺う。

始めは赤い髪の毛しか見えなかったが、しばらくしてから、ソロリと顔を上げた。

私を盾にしたまま、白石蔵ノ介が本当に毒手を仕舞ったか確認する。


白石蔵ノ介がヒラヒラと包帯がキチンと巻かれた左手を振ると、ようやく遠山金太郎少年は私の背中を解放した。

勢いよくスプリングを軋ませて、ベッドから飛び降りる。

ベッドと白石蔵ノ介が腰掛けている薬棚の前の丸椅子の間でピョコピョコと飛び跳ねながら、


「スゴイ、スゴイで!の姉ちゃん!」

「・・・・・・何が?」


やたらと絶賛されたので、首を傾げる。

白石蔵ノ介に毒手を仕舞わせたことだろうか?



「白石に毒手大人しう引っ込ませられる奴なんて今までおらへんかってん―――せやから、姉ちゃんはスゴイで!」

「・・・・・・はぁ?」


イマイチ遠山金太郎少年の言っている意味が解らず、彼から白石蔵ノ介へと視線を移す。

目が合うと、白石蔵ノ介は肩を竦めて見せた。

ボディー・ランゲージらしいが、こちらも意味が解らない。

何故肩を竦めたのだろうか?―――考えても妥当な答えは思い浮かばない。

仕方がないので、理解を放棄することにした。


「ま、ええわ――――って、ちょ、何!?」



考えるのを止めた途端、おもむろに白石蔵ノ介が立ち上がり、ベッドの前に跪いた。

何、と問うている私を無視し、前触れなくむんずと左足を掴む。



「――――――ひぇッ!」


情けない、空気を多く含んだ悲鳴が響いた。

白石蔵ノ介はと言えば、そんなことにはお構いなしと言わんばかりに私の左足から上靴と靴下を剥ぎ取る。

裸足にされた当初はポカン、としていた私だが、自分が何をされたのかを脳味噌が認識してからは顔に火が付いた。

――――何をするんだ、この男は!





「ちょ、何してんねん!」

「何て、怪我の具合看とるんやろ?」


答えない白石蔵ノ介に代わるように、遠山金太郎少年が答えた。

「金ちゃんの言う通りや」と呟きながら、白石蔵ノ介が私を見上げる。

跪いている為、必然的に上目遣いで見られることになるのだが―――――心臓に悪いアングルだ、と思った。

艶めかしすぎる。




端正な顔をポーッと眺めていると、美しい眉が形を崩した。

眉間に皺を作りながら、白石蔵ノ介が言う。


「アカンな、これ。この前と違うて捻ったじゃ済まんかったみたいや――――完璧挫いとる」


白石蔵ノ介の歪んだ眉を見て、ハッと我に返る。



「そ、そんなことより!何で白石くんに靴下剥ぎ取られなアカンねん!」

「何で、て」


白石蔵ノ介は、急に喚きだした私にキョトンとした。

至極当然だという口調で、


「裸足にせんと、患部がどうなってるか解らへんやろ?」

「ほんなら、裸足になれとか靴下脱げとか言えばええやろ!何が悲しうて男に靴下剥ぎ取られなアカンのや」


軽いセクハラやで、とブチブチ文句言うと、白石蔵ノ介は吹き出した。



「これくらいでセクハラやったら、さっきの金ちゃんは何や?ピッタリ貼りついとったけど」

「遠山くんは別にやらしくないからえぇねん!」

「・・・・・それは遠回しに、俺はヤらしい言っとんのかなぁ」


「失礼やなぁ」と呟きながら、白石蔵ノ介は立ち上がり、薬棚へと向かった。

存在自体がエロイんだと言ってやりたかったが、さすがに失礼なのでグッと堪える。

やがて白石蔵ノ介は湿布や患部を固定する為のテープや包帯を持って戻ると、手際よく治療を始めた。




「ホンマは先生に看てもろた方がえぇねんけど、会議中やから堪忍な」


ヒンヤリとした湿布が気持ち良い。

湿布を固定するように巻かれたテープは、いわゆる「テーピング」という奴だったようで、痛みが少しだけ和らぐ。

仕上げに巻かれた包帯は、さすが自分も巻いているだけあり、早く、そして美しい仕上がりだった。


「ハイ、出来上がり」


そう言う白石蔵ノ介は、少しだけ得意そうだった。



「おおきに。―――上手いなぁ、白石くん」

「せやろ?白石がおれば、病院いらずやねん」


何故か得意気に言う遠山金太郎少年が可愛らしい。

うんうん、と頷きながら相槌を打つ。


「確かに病院いらずやなぁ」


治療の出来映えに感心しつつ、そう呟くと、白石蔵ノ介は苦笑した。



「応急処置やから、ちゃんと病院行かなアカンで。―――ところでさん、今日、家に誰か居るん?」

「否。ウチ、共働きやから」


嫌な予感がした。

痛めた足の時と同じような感覚。すなわちデジャブ。



「せやったら、送るわ。一人で帰るの大変やろ」

「―――――・・・・・はぁ?」


白石蔵ノ介の申し出にポカンとしていると、遠山金太郎少年が「ワイも!」と叫んだ。

反射的に遠山金太郎少年を見ると、ニカッと笑っていた。


の姉ちゃん怪我させたのワイやし、ワイも一緒に帰るわ」

「せやな。当然や」

「男の責任、っちゅーやっちゃな、白石!」


私を置いてきぼりで勝手に盛り上がる二人に目を剥いた。

――――何を言ってるんだ。


白石蔵ノ介に関わってしまったがばっかりに向けられたいらぬ悪意がフラッシュバックする。

白石蔵ノ介に非はなくとも、あれの餌食になるようなネタを、自ら提供することはしたくはない。

咄嗟に大声をあげようとしたが、一瞬間を置き、口を噤む。

白石蔵ノ介に対して激情するのは逆効果だというのは、前回学んだのだ。





――――落ち着け。上手く切り抜けなければ面倒臭いことになる。

衝動を腹に力を入れることで押さえ、小さく息を吐く。

そうして自分が落ち着きを取り戻したと確信してから、口を開いた。


「・・・・・・・あんな?白石くん、前に私が足を捻った時、どうやって帰ったか知っとる?」


この唐突な問い掛けに、白石蔵ノ介は首を振った。

当然である。白石蔵ノ介は私が帰る所を見ていない。


「否。帰りに5組行ったら、銀がさんは早退したって教えられたからな」


銀?・・・・・誰だ、と思ってから、同じクラスの石田銀のことだと気付いた。

彼は普段「師範」などと呼ばれているので下の名前をよく把握していなかったのだ。



「せやろ?あんな、そん時はな、一人で帰ってん」

「な――――」

「さっきも言うたけど、ウチ共働きやねん。一人っ子やし、せやから仕方ないんよ」

の姉ちゃん、ワイも一人っ子やでぇ!」


天真爛漫に会話に割り込んだ遠山金太郎少年の頭を、白石蔵ノ介はグシャリとかき回す。


「せやなぁ、金ちゃんも一人っ子やな。――――で、」


遠山金太郎少年に向けていた視線を私へと変える。

視線が合い、白石蔵ノ介が言葉を吐き出そうとしているのを認識したので、遮るように言葉を吐き出す。



「何で足捻っとる女生徒を先生が一人で帰す許可出したのか、気にならん?」

「―――今正に、それを訊こう思っとったところや」


また眉間に皺が寄り始めた白石蔵ノ介に肩を竦める。

美形はどんな表情でも美形にしろ、出来るならば笑顔でいていただきたいものだと思う。



「それはな、ウチが学校から徒歩5分の場所にあるからや。ちなみに走れば3分かからんで」



サラリと行った種明かしに、白石蔵ノ介の目が丸くなった。

予想外だったらしい。

白石蔵ノ介の表情があまりに無防備で面白かったので、小さく吹き出す。



「せやから、別に責任感じて送ったりせんでもええで。ウチ、めっちゃ近いねんから」

「やけど――――・・・・」

「それに遠山くん、さっき言うてたやないの。今日部活やって。白石くんも、保険委員の当番やろ?穴開けたらアカンやん。気にせんでええよ、一人で帰れるから」


大丈夫大丈夫、とへラッと笑ってやるが、白石蔵ノ介の表情は険しいままだった。

それに釣られるように、遠山金太郎少年の表情まで曇り出す。

――――――弱ったな、どうすれば諦めてくれるのだろう。

前回のように天命が閃かないものかと思ったが、そう上手く行かないらしく、頭の中はゴチャゴチャしたままだ。



ゴチャゴチャの頭で必死で策を練っていると、遠山金太郎少年が「あ」と声をあげた。


の姉ちゃん家がこっから5分なら、白石もワイも直ぐ戻って来れるやん」


始め、遠山金太郎少年の言っている意味が解らなかった。

「あぁ、せやな」と低く呟かれた白石蔵ノ介の言葉も耳を滑っていくばかりで、


「金ちゃんも部活にそんなに遅れないで済むし、俺も15分くらいやったら保健室開けとってもええやろ」


薬棚の鍵だけ掛けとけば問題ないわ、と白石蔵ノ介が微笑む。

その笑顔を見て、ようやく二人が何を言っていたのかを理解する。

―――――この二人は、私を・・・・・





「ほんなら白石ィ、さっさとの姉ちゃん送って行こうや!」



親指を立ててニシシと笑う遠山金太郎少年を、白石蔵ノ介は親が子を見るような目で見詰めている。

確かに、遠山金太郎少年は親が無条件で可愛がってしまう子どものような雰囲気を纏っているなぁと得心し、頷く。

そう、私はうっかりと頷いてしまったのだ。

私の首の縦振りを見た遠山金太郎少年は、素晴らしい笑顔になった。

それはもう、ヒマワリが咲くようと表現したくなるような、素晴らしい笑顔。


あら、可愛らしい―――反射的に抱いた感想は、遠山金太郎少年の言葉によって遮られ、後に破壊されることになる。



の姉ちゃんもええ言うとるし、早よ行くで――――!」


困ったことに遠山金太郎少年は、私の頷きを「送ってくれ」と解釈を加えてしまったのだ。

白石蔵ノ介は遠山金太郎少年の言葉を聞くや否や素早く立ち上がり、薬棚に鍵を掛ける。




「や、あの・・・・・」


どうすれば、どうすればこの状況を打破出来るのだ?

グルグルと巡る頭の中で必死で考えようと努めるものの、ちっとも上手くいかない。

遠山金太郎少年がズカズカと近付いて来る。



「え、何?遠山く―――――・・・・」


言い終わらないうちに、遠山金太郎少年は先程と同じように私を担いだ。

鉞担いだ金太郎ならぬ、を担いだ金太郎である。

―――――我ながら面白くない。





「金ちゃん。それやとさんに家までナビゲートしてもらえへんで?」


私を担ぐ遠山金太郎少年を見たらしい白石蔵ノ介が「さんが前、見えへんやん」と苦笑した。

確かにこの状況では私の視界は遠山金太郎少年の背中の豹柄に占められており、道を教えることなど出来ない。



「ホラ、俺が運んだるから貸しぃ」


キュ、と無遠慮に膝裏を掴まれた。

包帯らしき感触から、白石蔵ノ介だと解る。



「え、嫌や。ワイ、運べるもん」

「金ちゃんが力持ちなんはよう解っとるけど、その運び方じゃアカンねん。さんが正面見えるようにせな。――――例えば」


クイ、と引っ張られ、バランスが崩れた体がポスリと着地する。

固い、骨張った腕の感触が少し痛かった。


「こんな風に、な」



艶っぽい声が上から降ってくる。

思わず見上げると、真上に白石蔵ノ介の顔があった。

心臓に悪い、美形のアップである。



「―――――な・・・・」

「何やかっこえぇで、白石!それ、お姫さん抱っこやないか!」


遠山金太郎少年の言葉にハッとした。

私は今、白石蔵ノ介に背中と膝裏を支えられているらしい。

そうだ、この横抱きの状態。

遠山金太郎少年の言う通り、これは正しく――――・・・。




「恰好えぇやろ?」


再び上から艶っぽい声が落ちてきた。

アンタは何をやっても恰好えぇんや、といらぬツッコミを心の中でする。



「――――さ。行こか。金ちゃんは、さんの鞄持って来てくれるか?あと、昇降口で俺の外履き出してもらいたいんやけど」

「おう、任しとき!ほな、行くでぇ――――!」

「・・・・・・ちょ、ちょ・・・・あの、白石くん・・・・遠山くんも、あの・・・・えぇぇえぇ?」



――――――何か私、置き去りにされてない?

この時私が抱いた感想に対し、その通りだと告げてあげたい。

この日、白石蔵ノ介と遠山金太郎少年は―――戸惑う私の意見など完璧に無視し、私を家まで運んでくれたのだった。


























大変な一日だった。

二人が帰った後、とりあえず落ち着く為に、普段飲まない紅茶を煎れてみた。

贅沢に牛乳で煮出し、ロイヤルミルクティーにする。

一口飲み、甘さが欲しいと思うものの、今更砂糖を加える気にもなれず、そのまま飲み続ける。



―――――大変な一日だった。

再び思う。本当にそうだ。

それに、人数は少ないものの、白石蔵ノ介にお姫様抱っこされている様を四天宝寺生に見られてしまった。

その上、私は偉そうに自分の家はこっちだ、と指差して示したりしていた始末だ。

――――たとえそれが白石蔵ノ介に言われたからであっても、これで明日からまた面倒臭い事態になること請け合いである。



それなのに、何故か気分が良い。

明日からのことを考えると憂鬱になるが、今日のことを振り返ると何だか楽しい気がしてくる。



シンとした部屋の中で、紅茶を啜る音だけが響いている。

両親の帰りは今日も遅いのだろう。夕食はどうしようか。そうだ、もやしをそろそろ使ってしまわないと。


いつものように夕飯のメニューを考える。

だが、何かしっくり来ない。何が足りないのだろう?



暫く考えてから、テレビがついていないのだと気付く。

私には、在宅中に人声がしていないと何だか落ち着かなくて、帰って直ぐにテレビのスイッチを入れる癖がある。





そうだ、テレビ―――――。

電源を入れようと思いカップを置く。



「――――――・・・・・」



視線でリモコンを探し、テレビの前に落ちているのを確認する。


「――――ま、えぇわ」


独り言を呟いてから再び腰を下ろし、カップを手に取った。

紅茶を啜る。一人の部屋にズズッという下品な音が響き渡った。



――――別にいいや。何か、不安にならないし。





しかし、今日は大変な一日だった。

何度も同じことを考える。考えれば考える程、本当に大変な一日だった。

でも―――――とても、楽しかった気がする。



大体からして、何故、今、私が紅茶なぞ嗜んでいるかといえば、落ち着きたかったからである。

紅茶の効果は未だ出ていないらしい。



心臓は、トクントクントクン・・・・と、いつもより少しだけ早いペースで鼓動を刻んでいた。


















Princes rely on her help. 01 closed.
「白石くんは包帯を止めるのに留め具を使っている」ということにしておいて下さい。




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