花奉るとてならす閼伽坏の音。




AKATSUKI









その光景は、部室に入って直ぐ目に入った。

口元を赤く染めている男に、思わずヒッと悲鳴を上げかけて。

すんでのところでそれを飲み込んだのは、赤いのは血液ではなく、トマトケチャップらしいと気付いたからだ。

ちなみに、ケチャップにしては赤黒い液体がグレービーソースだと知ったのは、彼の手にハンバーガーの包みが握られていたから。



「なんじゃ、化け物でも見たような面しよって」


面白そうに言う男の言葉は、外見にそぐわず、妙に時代がかっているように聞こえる。

だが、少し会話を交わせば、彼の言葉が方言であると気付けるだろう。

ただし、その方言の地域を特定することは不可能に近い。

何故なら、色んな地域の言葉がどうしようもない程にごちゃまぜになっているからだ。



「化け物―――あぁ、確かに」


得心して頷く私に、相変わらず口回りが赤い男は訝しげな視線を投げ寄越した。

うんうん―――、と何度も頷いている様子が不気味だと感じているのを隠そうともしない。

彼の顔には思いっ切り「何言ってんだこの女」と書かれていた。

ポーカーフェイスで感情が読めない彼にしては珍しい程ハッキリしたそれに、そんなにマズイか自分、と焦りを感じる。


だがしかし、そんなことを気にしていては曲者揃いの男子テニス部のマネージャーなどやっていられない。

不本意ながらマネージャー業を遂行しているうちに身に付いてしまったスルースキルを遺憾なく発揮することにして、



「確かに化け物みたいだよ、仁王くん」



彼のポーカーフェイスをもっと崩してやろうと、そんなちょっとした悪戯心も手伝って、そう言ってやった。

その目論見は上手く行き、仁王くんは「・・・・・何じゃ、藪から棒に」と気持ち悪そうに低く呟く。


「口の周りにソース付いてるよ」


指摘すると、ゆったりとした動作で口の周りに手をやり、ソースを拭う。


「ありがとさん」


どういたしまして、と形式的に答えると、「で?」と続きを促された。



「人のことを化け物呼ばわりとは、いじめっちゅう奴かのぅ」

「いじめられるようなタマじゃない癖によく言うよ・・・・・・」

「そんなこともないぜよ?」


いけしゃあしゃあと言ってのける仁王くんに脱力しつつも、彼が求めているであろう答えを口にする。

でないと、何を言われたものか解らないからだ。



「仁王くん、さっき口の周りにソース付いてたでしょ。そのソースが血みたいで、吸血鬼みたいだったのですよ」

「・・・・・・吸血鬼、のぅ」


興味深そうに目を細める。

そんな様子がちょっと色っぽくて、自分の思いつきにますます自信を持つ。



「うん。仁王くんって色白いし、色素薄いし。日陰を好んでるってことは、太陽光にも弱いってことでしょ?」


調子に乗って仁王くんと吸血鬼との類似点をポンポン口にしては、「吸血鬼っぽい!」と確信する。

美形だし、というのも類似点のひとつだと思ったけれど、嫌な予感がするので口にせずにいた。



――――


名前を呼ばれ、顔を上げると、真剣な顔をした仁王くんと目が合った。

ジッと見詰められる。居心地が悪い。



「何で解った」


低く、重々しく呟かれた言葉。

その意味が解らず、え?と首を傾げる。



「のぅ、。お前さんは知っとるか?吸血鬼の能力には支配っちゅーもんがあって、吸血した相手を意のままに操れるんじゃ」


目を細めて、嬉しそうに、楽しそうに言う。

え?何言ってるの、仁王くん。

―――
そう言ってやりたいのに、口が開かない。


硬直している私に、仁王くんはクスクスと笑いながら、漫画とか映画でしか訊かないようなセリフを言い放つ。



「悪いのぅ、・・・・・・知られたからには、逃がす訳にはいかん」



悪く思うなよ―――そう命じられる。

あれ?何か逆らえない、・・・・・・ような気がする。

そんな馬鹿な、気のせいだ、気のせい。そんな、非現実的なことが、まさか―――



ク、と首筋に手をあてがわれる。

それを感じた時にはもう既に、色素の薄い、整った顔が近くにあった。

ニチャ、と粘着質に笑うと、仁王くんは口を開いて、



―――いただきます」



ヒュッ、と悲鳴になりきらない空気の漏れ出す音が、口から飛び出す。

脳の処理能力が追い付かない。

え、何。何なのこの状況?意味が解らな―――




首筋に鋭い痛みが走った。

噛み付かれてると解ったのは、痛覚から。

ズッ、と啜り上げる音が耳に谺す。



―――なぁんて、な」




冗談じゃよ、冗談。まぁ何だ、ごちそうさま―――

ポンと肩を叩かれた瞬間、不思議なことに、固まっていた体の硬化が溶けた。

腰が抜けたのか、ストン、と面白いように重力に負け、床にへたり込む。


「な、な―――――?」


反射的に痛む首筋を掌で抑える。

その掌を下してみる。掌には何も付いていない。

――――
当たり前か。

そう思うものの、未だにジクジクと疼く痛みは出血を伴っているように感じる。

ドクン、ドクンと己の心臓が脈打つ度、熱を感じるように痛む。



「大丈夫か?」


ヤンキー座りをした仁王くんが、顔を覗き込んでくる。

相変わらず、ニチャリとした粘着質な笑みは顔に張り付いたままだ。

床にへばりついている私に目線を合わせる為にしゃがんだらしい。

楽しそうな様子で私をジロジロと舐めるように見詰める。はっきり言って恥ずかしくて、居心地が悪い。


「だ、大丈夫だったらこんな風に床にへたり込んでないよ!」

「それくらい元気があるなら、貧血の心配は大丈夫そうじゃな」



にぃ、と唇を歪めて厭らしく笑う。

口元に黒子があるせいで、何だかとても妖艶で厭らしい。



「ひ、貧血?何言って――――

。お前さん、レバーは好きか?」

「は、え、な、なに!?」

「レバーは苦手か?だったら、ほうれんそうやしじみは?」


意図がサッパリわからない問い掛けをしながら、仁王くんは不躾に、私の両脇に両手を突っ込んで、引っ張り上げた。

驚いて「ギャッ」と悲鳴を上げると、「色気のない声じゃなぁ」と苦笑いされた。


「にッ、仁王くんが急に変なことするからでしょう!?」

「変なことってなんじゃ。お前さんの腰が抜けてるようじゃから、立たせてやったんじゃろう」

「そ、それはそうかもしれないけど―――キャッ!」



仁王くんの両手に支えられ、無理矢理立たされていたというのに、急に仁王くんが両手を引っ込めた。

腰が抜けたままの私が重力に打ち勝つことが出来るはずもなく、再び床にへたり込む。



「おお、今度はちゃんと可愛い声が出たな。やれば出来るじゃないか。感心、感心」

「痛ッ〜〜〜〜ッ―――な、何するの・・・・・!」



床と膝を打って、地味に痛い。

うらめしげに立っている仁王くんを見上げると、「すまんすまん」とちっとも悪いと思っていない調子で謝られた。

クックッと喉で笑いながら、再びヤンキー座りでしゃがみ込み、私の両脇に両手を突っ込もうとする。



「や、やだッ!もう触らないで――――

「そんなこと言ったって、は一人で立つこともままならないじゃろう?」



ふっ、と小さい掛け声と共に、再び体が持ち上げられる。

けれど、さっきとは違い、仁王くんは立ち上がらず、ヤンキー座りを器用に片膝立ちに変えると、立てている膝の上に私の腰を乗せた。

急に仁王くんの顔が近付き、心拍数が跳ね上がる。

そして、よくよく考えてみれば私のお尻と仁王くんの足が接している状態なのだと気付き、さらに心拍数が上昇した。



――――に、にににに仁王くんッ!」

「何じゃ」

「降ろして!重いでしょ、早くッ!!」

「別に重くはないぜよ。―――そんなことより、

「そ、そんなことって・・・・・!」

「お前さん、レバーは嫌いか?」


ジッと、真剣な表情で見詰められる。

さっきも言っていたけれど、意味が解らない。


「れ、レバー?」

「ああ。好きか?」

「・・・・・別に嫌いって訳じゃないけど。やっぱりタンとかカルビの方が美味しいよね」


答えろ、と三白眼に強く訴えられ、何だかなぁと思いながらも、一応返答する。

何でこんな体勢で、こんな状態で、焼き肉の話なんかしなくちゃいけないんだかサッパリ解らない。



「そうか。・・・・・じゃあ、ほうれんそうやしじみは?」

「え?」

「食えるか?それとも苦手か?」

「否、別に普通に食べれるけど・・・・・何で?何かさっきもレバーとほうれんそうとしじみがどうとか言ってたよね?」

「血じゃ」


当然だろうと言わんばかりの表情で、あっさりと口にされた答え。

聞きなれたよく知る単語のはずなのに、上手く脳味噌が処理をしてくれない。

違和感だけが、こびりつくように残る。

―――――
血?どういうこと?






ゆっくりと、自分の膝小僧を見詰めていた瞳を上げた。

視界がゆるゆると動き、眼光が鋭い三白眼を捉える。

視線に気付いた仁王くんに、じっと見詰め返された。

怯む間もなく、粘着質な笑みに支配される。

にちゃりとしたそれは、とにかく私を落ち着かなくさせることに長けていた。




「貧血によくなる人間は、レバーを食えと言われるじゃろう?しじみも、ほうれんそうも同じじゃ。鉄分豊富で、血の原料になる」


童話のチェシャ猫のような形をした口の隙間からこぼれるように、仁王くんの声がする。

何だか、変だ。感覚が可笑しい。

目は逸らせないままでいる。

すっかり三白眼に捕らわれてしまったかのように動けない。




困惑していると、意外にも、向こうが視線を逸らした。

ほっとしたのも束の間、ゆっくりとした動作で仁王くんの顔が近付いてくる。



――――ッ、」


声にならない悲鳴が上がった。

それを嘲笑うかのように、耳元で仁王くんが囁く。



。お前さんは大切なエネルギー源じゃけぇ、燃料切れなんざつまらんことにはなって欲しくはない」

「・・・・・・ね、んりょう?」


何を言っているの、意味が解らない。

そう言ってやりたいのに、耳元で微かに響く仁王くんの息遣いがゾクゾクと背筋を這い上がってきて、それどころじゃない。

――――
おかしくなりそうだ。



混乱する思考回路を切り裂くように、カッカッ、と哄笑が耳に響く。

仁王くんの笑い声だと思えないような声だった。

大きな音にビクリと体を震わせると、仁王くんに顎を掴まれ、グッと無理矢理上向かされる。

急に視界いっぱいに飛び込んできた色白のよく整った顔は、心の底から可笑しいとでも言うかのように、嗤っていた。



「おいおい、。とぼけるのもいい加減にせぇ、お前さんはとっくに解ってるじゃろう?」



白い顔の中で、やけに赤く見える唇が、不吉な形を描く。

吊り上った口角から音が漏れ聞こえているかのように、囁くような音量で仁王くんは笑い続ける。



「お前さんは今日から、俺の獲物じゃ」



当然だろう、と唇と同じ形を描いた瞳が饒舌に語っていた。

するりと滑らかな動きで、仁王くんの唇が私の首筋を這う。



「ヒィッ――――・・・」



ベロリと噛まれた痕を舌で拭われ、背筋に悪寒が走る。

反射的に弓なりになった背中による体の振動が、思考回路に少しの冷静さを取り戻させた。



「な、何するの!」

「マーキングじゃ」

「ま、マーキングって・・・・」

「お前さんは、俺の獲物じゃけぇ」



涼しい顔をして言う仁王くんを目一杯、睨む。

「おお怖い」と思ってもないことを言う仁王くんをさらに睨みながら、糾弾する。


「嘘吐き!」

「違う。詐欺師じゃ」

「ちゃかさないで!・・・・そりゃ、面白がって仁王くんを吸血鬼呼ばわりした私も悪いけど。でも、だからって悪ノリすることないでしょう!?」

「・・・・・ほぅ?」

「・・・・もう、そうやって馬鹿にして!噛み痕から出血だってしてないし、吸血鬼なんて架空のモンスターなんだから!」


叫ぶように言うと、仁王くんは再び哄笑した。

ゲラゲラと、仁王くんらしくない笑い声を響かせると、



「お前さんは馬鹿か?蚊に血を吸われた後、刺された痕は出血してるか?――してないじゃろう?俺のだって、それと同じじゃ」



嗤いながら言う。

そして、おもむろに私のスカートを捲りあげ、太ももに顔を寄せると、付け根近くに噛み付いた。

スカートを捲られた恥辱に悲鳴を上げるよりも早く、痛覚が脳髄を支配する。


「痛い!」

――すまんのぅ。蚊とは違って、痛みを麻痺させる物質は分泌出来ないんじゃ」


ジュルリ、と水音を発てながら仁王くんが言う。



「首筋と腿の付け根が一番美味い」


嗤いながら、妙な感想を述べる。

私の頬に手を添えると、じぃっと顔を覗き込む。



「色々面倒なんじゃよ。女を適当に騙して、首筋にキスするように見せかけて噛み付くのは骨が折れる――その徒労が不要になるんじゃ。は最高の獲物じゃ」



頬に添えられていた掌が後頭部に回り、頬は仁王くんの胸板にギュウと押し付けられた。

抱き締められているというには、不自然な恰好だった。



――――お前さんは、俺のものじゃ」


その言葉に背筋がゾクゾクと震えた。

その震えが悪寒ではなく、体の芯が熱を帯びるようなものであったことを、私ははしたなく思う。

酷く恥ずかしい。

けれど、私は仁王くんの手から逃れようと努力することはきっと出来ない。



所有物扱いされて嬉しいだなんて、私は変態なんじゃなかろうか。

ぼんやりとそう思っていた頃、唇に噛み付くようなキスをされた。

背筋をまた、あの感覚が這い上がる。


仁王くんの体温が離れた後、口の中には鉄の味がじんわりと広がり始めていた。










Wish in the blood Closed.

なめらかな皮膚の下に膨れあがりゆくような、違和感を育てながら
−目眩を起こす満月の日
暁を告げる鐘が鳴り
私はまた舞い上がる RISE










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