絶対矛盾
「ちぃと、悪いんだが」
彼はそう前置きして、場の主導権を優等生から奪い去った。
場所は告白スポットと名高い校舎裏。大きな木が一本立っていて、人気がないのが特徴だ。
そんな場所にメールで呼び出された時点で、何となく「告白されるのだろうな」と推測はしていた。
そして実際行ってみるとその通りになろうとしていた矢先、突然野暮ったく介入してきた者がいたのだ。
堂々と、スポットライトでも浴びているような素振りでズカズカと近付いてくる、彼の名は仁王雅治と言う。
特徴は―――まぁ、説明は不要だろう。彼は有名人だから。
両手をポケットに突っ込み、猫のようにすり足で歩く。姿勢も猫背。こじつけてみれば、ちょっと顔も三白眼気味で猫っぽい。
猫のイメージと言えば、「自由気まま」とか「ワガママ」とかそんなものだが、仁王くんも実にフリーダムであった。
告白を中断され、唖然としている優等生に向かって、彼は唇だけを歪めて微笑んだ。
人をゾクリとさせ、黙らせる力を持ったそれに抗える人間はほとんどいない。
優等生も例に漏れず、黙りこくったままだ。
蛇に睨まれたカエル。そんな表現がピッタリの相手を満足そうに眺めながら、仁王くんはピッと人差し指を立てて、
「俺のじゃ」
―――と、私を指し示した。
ますます唖然とする優等生が、オドオドと視線をさ迷わせながら、私に目で訴える。
「本当なのか?」というそれに、肩を竦めて答えると、優等生は絶望したように身体を硬くした。
そのまましばらく、誰も何も言わないでいたが、やがて優等生がポツリと「全然知らなかったな」と自嘲気味に呟いて、
「ごめん、俺、知らなくて。―――その、だから・・・・返事はもう、解ってるから」
「時間取らせてごめん、来てくれてありがとう」―――そんな言葉を早口にそう捲し立てると、優等生は逃げるように校舎へと吸い込まれていった。
そんな優等生の姿をボケッと見ながら、私も知らなかったな、と思う。
先程、優等生の訴えに肩を竦めてみせたのは、私も本当にそうなのかどうか、解りかねたからだ。
私が、仁王くんのものだと彼は言うが、その確証は全くなかった。
言われて初めて「ああ、そうだったんだ」と驚いたくらいだ。
そんな私にお構いなしに、仁王くんはフンと鼻で笑うと、
「誰じゃ、あれは」
「・・・・・H組の武田くん」
「ああ、お前さんのクラスメイトじゃな―――」
得心したように呟くと、仁王くんは私のうなじの辺りの髪を梳いた。
伸ばしている最中の、中途半端なセミロングの毛先まで指を下ろすと、そのまま毛先ごとキュッと握る。
少し強く引っ張られ、顔が傾く。
「人の物に手を出すとは良い度胸だと思うたんじゃが、違ったらしいのぅ」
クツクツと、喉の奥で押し殺したように笑う。
初めて見たときに「嫌らしい笑い方だな」と感じた笑い方。その印象は、今でも変わっていない。
「どんな奴なんじゃ、武田くんは」
「優等生だよ、すごく真面目な」
「なるほど。道理でに告白してきた訳じゃ」
意味が解らず仁王くんを見上げると、視線に気付いた彼はニヤッと粘着質に笑った。
弄んでいた髪の毛を離し、再びポケットに突っ込むと、
「ああいう輩は、自分大好きな奴が多いからのぅ。自分に似ている奴を好きになるもんじゃけぇ」
のぅ、パッと見優等生のさん―――。
ニヤニヤと、相手の気分を害するように笑いながら言う。
ああ、そうだ。あの時も、仁王くんはこうやって笑いながら喋っていた。
慣れる気もないのに何故か慣れてしまってすっかり怒る気も起きない私は、ぼんやりと思い出していた。
仁王くんが私を利用するようになったキッカケのことを。
別に、何か意味があって言った訳ではなかった。
そもそもの原因は、てんで興味がない落語のビデオを祖父に無理矢理付き合いで見せられたことだ。
今の時代にビデオ、である。期待などしていなかったのだが――これが予想外に面白かった。
『仇討の次第』という題のそれは、「登場人物が多いのでね」と、落語家が登場人物の名前の一覧表を提示することから始まる。
今井新八郎
野村隼人
花むらさき
しずはた
和田見益
皆川屋喜兵衛
宇源太
惣九郎
駄八
今井という男が闇討ちにあったと聞き、彼の弟は「兄の仇!」と刀を掴んで仇討ちに向かおうとする。
そんな弟を、今井の母は「お待ちなさい」と止め、「慌てずに、この書き付けをよく読んでご覧なさい」と、登場人物の名前の一覧表を示す。
母が示すまま、弟は登場人物の名前の頭文字を上から順に読んでいく。
すると――今野花し和皆宇惣駄。すなわち、「今の話は皆嘘だ」となる。
私はこのオチの言葉遊びに衝撃を受けた。
そうくるか、という意外性と、単純なバカバカしい面白さにビックリしたのだ。
感想を求められるがまま、祖父にそう伝えると、祖父は「ふむ」と軽く頷き、
「。折句、っちゅーもんを知っとるか」
知らないので首を振ると、祖父は文机から万年筆を取ってきて、近くに転がっていた朝刊を手繰り寄せると、欄外に「折句」と書いた。
「漢字で書くとこうだ」
私が新聞を覗き込んで文字を見たのを確認すると、「ちょっと待っておれ」と言い、居間から出て行く。
ボウッとしながら祖父を待っていると、祖父は何やら文庫本を片手に戻ってきた。
何気なく書名を確認すると、『伊勢物語』だった。
祖父はしばらくペラペラと文庫を捲っていたが、やがてあるページを私に示して、
「から衣。着つつなれにし、妻しあれば。はるばるきぬる、旅をしぞ思ふ」
と、書かれている短歌を読み上げた。
「えぇか、。今祖父ちゃんが読んだ歌の五七五の頭文字、さっきの落語みたいに繋げて読んでみぃ」
祖父が読んだ歌は、文庫の中でこのように載っていた。
から衣
着つつなれにし
妻しあれば
はるばるきぬる
旅をしぞ思ふ
言われた通りに頭文字を読み上げる。
「か、き、つ、は、た」
「は、は濁らせるんだ。だから、か、き、つ、ば、た、となる。これが折句だ」
昔の人は、こうやって小洒落た遊びをしていたのだと、祖父は教えてくれた。
「折句は和歌の技法で、他にも色々作品があるから、好きなら調べてみるといい」
祖父はそう言うと、巻き戻し終わったビデオをデッキから回収し、大事そうにケースに仕舞った。
「どうだ?面白かっただろう、落語」
誇らしそうに言う祖父の言葉に、私は静かに頷いて応えた。
私はどうも、こういう洒落というのかお遊びというのか、そういう小ネタ的なものが好きなきらいがあるらしい。
あいうえお作文も大好きだ。『ABC殺人事件』もトリックが判明するまではゾクゾクした。
そんな訳で、気付いてしまったのだ。
せいぜいロック愛好家を気取っている男子が「あぁ、聖飢魔Uの歌詞だろ」と鼻で笑うくらいで、誰も気付かなかった彼の座右の銘。
ひょっとしたら、後にインターネット検索で調べたファンの子も居たかもしれない。
けれど、彼にそれが言葉遊びである、という旨を述べた人は皆無だったはずだ。
でなければ、仁王くんが私にあんなに興味を示した訳がない。
「黒い白馬にまたがって前へ前へとバックした」。
友人が編集をしているから、それだけの理由で大した興味もないのに目を通している学校新聞。
先月の特集は、中学テニス部だった。
イケメンに疎い私でも知っている、テニス部のイケメンたち。
まるでアイドル雑誌のようだと苦笑しつつ、斜め読みしていた彼らのプロフィールの中に、その言葉はあった。
黒い白馬にまたがって前へ前へとバックした―――これは、仁王くんの座右の銘だという。
・・・・・・意味が解らなかった。
言葉遊びを座右の銘ということも、数ある言葉遊びの中から敢えて、中には差別語を含むものがあるような一例を挙げることも。
だから、たまたま、保険委員として昼休みに保健室に在中していた時、仁王くんがバンドエイドをもらいに来た時に、質問を投げかけたのだ。
「何で座右の銘に言葉遊びを挙げたの」、と――。
「教えて欲しいか?なら、対価を支払ってもらわんといかんのぅ」
瞳を三日月のように細め、口を嫌らしく歪ませる。
それが笑っている表情だと気付くまで、しばらくかかった。
理解した今でも慣れないし、見る度に嫌な気持ちになる。何だか馬鹿にされているみたいだからだ。
後に散々聞くことになる、「対価」という彼の口癖を聞いたのは、この時が初めてだった。
「対価?何を?」
首を傾げる私を見下ろしながらバンドエイドを指に巻き付けると、仁王くんは「そうじゃなぁ」と暫く考え、
「たとえば――」
と呟くや否や、私の胸を無遠慮な手付きでなで回した。
反射的に彼の手を叩き弾き、真っ赤な顔で「何するの!」と喚いても、仁王くんは飄々としたままだった。
「すまんなぁ。でも何せ、思春期なもんでのぅ」
悪いと思っていないのが明かな言葉に、怒るよりも呆れてしまった時点で、私の負けは確定していた。
それからというもの、私が保健当番の日に、仁王くんは必ず保健室に襲来する。
どうでも良い会話を交わし、仁王くんの気が向いたときに無遠慮に体をなで回され、それを咎めると「気持ち良い癖に」と嘲るように笑われる。
そんなことの繰り返しだ。
「対価を勝手に支払わせた癖に、何で座右の銘の由来を教えてくれないの」
と問うた時も、彼はニヤーッと不思議の国の猫よりも歪な笑みを浮かべてこう言った。
「気持ち良くさせてしもうたからのぅ。あれじゃ対価にはならんぜよ」
黒髪の乙女に倣ってお友達パンチを浴びせてしまった時点で、やっぱり私の負けは確定していた。
何せ、お友達パンチは親愛なる相手にしか繰り出すことが出来ない技なのだから。
校舎裏で、私の髪の毛を弄ぶ仁王くんを見ながら、何とはなしに呟く。
「仁王くん、髪の毛銀色なんかにして髪の毛と頭皮痛まないの」
「これは地毛じゃ」
「銀色に染めるのって大変なんでしょ?美容師さんに聞いたよ、白くなるまで何回もブリーチしなきゃいけないって」
噛み合わない会話を続けながら、仁王くんは何を考えているんだろうと思いを馳せる。
保健室に来るようになってから、彼の女遊びがなくなった、という噂を耳にした。
来る者拒まず去る者追わずで有名だった仁王くんが、女遊びを辞めたというのだ。
本命が出来たとか、年上女のツバメになったとか、それらしい理由がまことしやかに囁かれる中、私は酷く落ち着かないで居た。
まさか、そんな訳ないよ、でも、もしかするかもしれない。
―――ねぇ、私がその理由なの?
そう尋ねるには、私の自尊心は尊すぎた時点で、どうしょうもなく私の負けは確定していた。
「ねぇ、仁王くん。私って仁王くんのものなの?」
「おぉ、そうじゃぞ」
「知らなかったよ―――って、やっ、ちょっと馬鹿!どこ触ってんの!」
太股をさすって嫌らしくスカートの中に侵入しようとした骨張った手を払いのける。
すると、仁王くんはクツクツと、彼にしては割合爽やかに笑うと、
「俺のものをどうしようと俺の勝手、じゃろう?」
と、暴君以外の何物でもない発言をした。
わぁお、と歓声を上げてやると、仁王くんは満足そうに微笑んだ。
もう本当にどうしょうもない。
腰に回された白い腕をほどけない時点で、ううん、否、それ以前に。
「じゃあ、仁王くんは私のものなの?」―――と問えない時点で、揺るぎなく、私の負けは確定されてしまっているのだ。
'' Sacrament '' closed.
負け戦と解っていても、戦い続けるのは愚かなことでしょうか?
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