心臓に届かなくとも、心の臟を痛めることはできる。
マスカレイド
途切れた意識が戻ったときに視界を覆ったのは、白い天井だった。
目が覚めると、今度は羞恥心が襲ってくる。
あの後――― あのまま教室にいる、なんてことが私にできるはずもなく。
こうして、保健室で声を押し殺しながら泣くという醜態を曝していた。
今、何時だろう。
のろのろと体を起こし、上靴を履く。
泣きながら寝てしまったせいで、頭が重い。
そっと、ベッドを囲む白いカーテンを開ける。
保健室の中に、保険医の女性の姿はなく、ほっとした。
なぜ泣いていたのかと訊かれたら、きっとまた泣いてしまう。
「5時・・・・・・・・・」
時計を確認し、愕然とする。
時間はもう5時を回っていた。
ちゃんの薦めで保健室に来たのは、昼休みが終わる少し前だった。
4時間近くもベッドの中にいたなんて。
肩を落としながら、保健室を出る。
一応、先生宛に手紙とも呼べない走り書きのメモを残してきた。
なんて書くか迷って、「もう大丈夫です 3-B 」 と、紙面で嘘を吐いた。
ちゃん、起こしてくれればいいのに。
そう思ってから、私の性格を熟知している彼女は、放っておいた方がいいだろうと判断したのだと気付いた。
ちゃんは、いつも解ってくれる。
言葉にしなくとも。
鞄を取りに教室に向かう。
階段を上るのがひどく苦痛で、疲れた。
俯きながら教室に近づくと、中から 「あら」 と可愛らしい声がした。
途端、心拍数が跳ね上がる。
足が戸口でピタリと止まった。
これは―――・・・仁王くんにキスした子の声、だ。
可愛い声が、嘲笑うように言葉を紡ぐ。
「雅治の彼女のさんじゃない」
驚いて、顔を上げる。
綺麗に巻かれたハニーブラウンの髪の中から、小さな顔がニコリとおかしそうに微笑んでいた。
「やぁだ、なに驚いてるわけ?さん」
クスクス笑う声が、耳障りだった。
明らかに 「」 に、揶揄するような感情を込めたイントネーションが気持ち悪い。
「お目々が真っ赤。目蓋は腫れてるし。・・・泣いちゃったんだ?」
かーわいそう、と。
歌うように、言う。
顔を背けたから解らないが、多分この人はニヤニヤ笑っているんだろう。
「雅治の彼女なら、これ位で泣いてちゃダメよ?・・・もっとも」
語尾にたっぷりと厭らしさを込めて、吐き出されたのは
「あなたが何番目か、あたしは知らないけど」
残酷な、言葉だった。
「ねぇ、雅治。さんって、何番目?」
パタパタと遠ざかる足音と共に聞こえた台詞に、反射的に顔を上げる。
足音を辿った視線の先に、女の子に絡みつかれた仁王くんが、いた。
真っ直ぐに。
睨むように、私を見ている。
「ねぇ?さん、あたしの次?」
仁王くんの鎖骨あたりに手を這わせながら、厭らしく問う。
自分が1番だと、確信している声。
唇を噛み締める。
驚いたことに、羨ましさよりも悔しさの方が大きかった。
「何番だっていいよ」
突然話し出した私に、仁王くんに絡みついた女の子が振り返る。
「何番目だって同じだもの」
「・・・・・・・・はっ、」
なに、負け惜しみ?と問う声に、静かに首を振る。
「あなたが仁王くんの1番でも、私には関係ないから」
だって、仁王くん、私のこと好きじゃないんだもん。
そう言うと、女の子が哄笑した。
「あははははっ、ナールホド。その通りだわ。残念ねぇ、雅治?彼女1人減っちゃったわよ」
ガバ、とさらに仁王くんに絡ませる体を。
「――――――――うるさいのぉ、彼女ですらない馬鹿女が」
激しく拒絶するように強く押し返しながら、仁王くんが初めて、言葉を発した。
ガタン、と大きな音をたてて。
悲鳴を上げながら、ハニーブラウンの髪が机をなぎ倒し、倒れた。
「ま、雅治!?」
何が起こったのか理解できないという顔で、叫ぶ彼女に。
「お前に名前で呼ぶ許可を与えた覚えはなか」
冷たく、答える。
「仁、王く・・・・・・」
ズカズカ近寄ってきた彼に、腕を掴まれた。
「い、痛いよ・・・・・」
抗議の言葉は聞き入られることのないまま、教室に引っぱられる。
「っ・・・・・・・・!?」
教室に引っぱり入れられると同時に、噛みつくようなキスをされた。
横目に、赤い顔をした女の子が「ふざけんじゃないわよ!」と叫びながら教室を出て行くのが見えた。
唇にチロチロと仁王くんの舌が這い回る。
その舌が、唇を割ろうと上唇と下唇の間にねじ込まれた。
「嫌っ・・・・・!!」
ガリ、と。
侵入してきた舌を思いっきり噛んで。
ありったけの力で、仁王くんの体を押し返して。
ようやく、意味不明なキスから逃れた。
でも、それも束の間のことで。
両肩を仁王くんに掴まれて、揺さぶられる。
「なんでじゃ!」
仁王くんが叫ぶ。
仁王くんが叫ぶなんて、と麻痺した頭が場違いな感想を考えた。
「なんで、って・・・・・・。当たり前でしょ!?私のことなんてどうでもいいくせに、なんでこんなことするのよぉ・・・!」
最後の方は、もう嗚咽になってしまった。
あれだけ泣いたのに、まだ涙が出る。
私は、どれだけこの男に泣かされればいいのだろう?
カハ、と嗚咽を漏らす私の肩を、仁王くんは解放しながら
「違うんじゃ」
「なにが違うのよっ・・・・・!」
「が悪いんじゃ」
カッ、と頭が熱くなる。
ふざけんな、と怒鳴ってやろうと口を開きかけた、そのとき。
「・・・・・・・が、嫉妬せんから」
眉尻を下げながら、仁王くんが呟いた。
「・・・・・え?・・・・・」
意味が、解らない。
疑問が顔に出ていたのだろう。
溜め息を吐きながら、仁王くんが説明し出す。
「が他の女が彼氏に言い寄っとるのに、なにも言わんから」
だから、キスとかされても放っておいた。
ボソボソと、聞き取りにくい声で。
だけど、確実に、仁王くんはそう言った。
「なに、それ・・・・・」
馬鹿みたいだ。
「すまん」
「・・・・えっと、じゃあ、その・・・・」
混乱する頭で、必死で言葉を考える。
美香ちゃんと違って、仁王くんには言葉にしないと伝わらないからだ。
「仁王くん、私のこと、好きなの・・・・・?」
答えの代わりのように、顎を掴まれて。
また、キスされた。
私は
唇を割ってくる舌を、今度は拒絶しなかった。
唇が離れて、少ししてから。
極上の微笑みと共に、仁王くんはこう言った。
「俺は、を 好いとうよ」
'' The masquerader '' closed.
マスカレイド=仮面舞踏会、口実。仁王の方言は自信0です。
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