俺は寿司屋になる、と河村くんは言う。
初めてそれを聞いたのは小学生の時だ。
何年生の頃のことだか記憶が曖昧だけれど、確かに彼はキッパリと言い切っていた。
サッカー選手だとか宇宙飛行士だとか、そんな夢ばかりが語られる中で、クラスで唯一と言っていい程現実的だった河村くんの夢。
「そっかぁ。タカさん家、お寿司屋さんだもんね」
河村くんと仲良しのクラスメイトの言葉を聞いて、私は「ふぅん、そうなんだ」なんて思っていたものだ。
真っ白なキャンバス
――そんな昔の記憶が急に呼び起こされたのは、全く同じセリフを全く同じ人間から聞かされたからに他ならない。
全国大会優勝という快挙を成し遂げた英雄として祭り上げられているテニス部レギュラー勢は、学校朝礼の表彰時に「何か一言」と求められた。
部長の手塚くんを筆頭に、要約すると「皆の応援に感謝」という旨のスピーチが続く中、河村くんは順番が回ってくると、困ったようにはにかんで、
「自分にとって、今回の大会が最後のテニスでした。というのも、俺は家業を継いで寿司職人になるべく、高校からは部活に入らず、修行に専念しようと思っているからです。そんな最後のチャンスで優勝することが出来、本当に嬉しく思います。大会中は、皆さんの温かい応援に、たくさんの活力をもらいました。本当にありがとうございました」
と、考え考え、時々詰まりながらも一生懸命言葉を紡いだ。
そんな彼の言葉が胸に響かない訳もなく、私は柄にもなく感動してしまったりしていた。
そしてこれが、私が河村くんに恋した瞬間でもあるのだと思う。
「優しくて気だての良い昔馴染みの同級生」だった河村くんが、一気に特別な存在になった瞬間。
中学生の恋なんていうものは、それはもう可愛らしいもので、「河村くんと話せたから今日は幸せな日だ!」とか本気で考えていた。
思えば、何といじらしい恋だったのだろう。
河村くんに恋い焦がれて胸が苦しい、なんてことはほとんどなくて、河村くんに会えるだけで、否、むしろ彼の姿を見ることが出来るだけで幸せだった。
恋に恋していたのかもしれない。私はただ、楽しくて楽しくて、河村くんに恋する毎日は充実していて、キラキラと輝いていた。
その楽しいはずの恋が、輝きに満ちた日々が終わりを迎えたのは、二年後だった。
おめでたいことに、私は中学生の可愛らしい恋を引き摺ったまま、高校生になっていた。
エスカレーター制の青学では、進学で離ればなれになるという不安もなく、不安と言えばせいぜい「河村くんとクラスが離れたらどうしよう」という程度のものだった。
ちなみに人が訊いたら「はいはい、それで?」と言われそうなこの不安は杞憂に終わり、私の青臭い恋を助長することとなる。
そんな風にズルズルと続いてしまった恋が終わったのは、大学進学を考えなければならなくなった高校二年の夏頃である。
どうしたものか、と進路調査票を片手に悩んでいたはずなのに、いつのまにか私のおめでたい思考回路は河村くんへと向かい、そしてハタと気付いたのだ。
――― 『俺は寿司屋になります』。
小等部から繰り返し口にしていた河村くんの夢。彼の実家の家業。
あれだけの結果を残しながらもスッパリとテニス部を辞め、寿司職人になるべく修行に励んでいるという河村くん。
寿司職人になるのに、学歴は関係ないだろう。
いくら大卒でないと話にならないと言われるのが日本の就職事情であったとしても、家業があるなら話は別なはずだ。
―――もしかしたら、河村くんは大学へ進学しないのかもしれない。
気付いてしまった可能性は、真っ白なシャツにうっかりと飛ばしてしまったミートソースの染みのように私の脳味噌に張り付いて、なかなかとれなかった。
焦りは日に日に蓄積していくばかりで、それが焦燥に変わるのにさほど時間はかからなくて。
小等部からの顔馴染みといえど、気軽に河村くんに進路を問うことすら出来ない自分が歯痒くて仕方がなかった。
しょせん、昔から学校が一緒でクラスメイトだった期間が長かった――私と彼の関係なんて、ただそれだけでしかない。
中等部からの編入のテニス部のマネージャーの子の方がよっぽど河村くんと親しいだろう。
きっと彼女なら、河村くんに「タカさんは大学行くの?それとも直ぐに家業を継ぐの?」と質問することが出来るんだろうな。
何も出来ない、彼と世間話すら出来ない意気地無しの癖にマネージャーに嫉妬している。
そんな自分に、理不尽だと吐き気がした。
そんな自分が、どうしようもなく嫌だった。
変わりたい。変わらねば。こんな自分は、河村くんはおろか誰も――自分自身ですら好きになってくれない。
そう、強く思った。
河村くんに好きになってもらうことが出来なくても、せめて、自分くらいは、自分を好きになるように努めなければ。
直ぐに変わることは難しくても、徐々に、少しずつでもいいから頑張ろう。
決意を固め、「一日一回、河村くんと世間話をする」という低すぎる目標目指し、行動を開始した。
元来優しい気質の河村くんは、話し掛けさえすれば快く応じてくれる。
それ故、私は袖にされて傷付くこともなく、少しずつ、昔馴染みから友達への階段を上ることが出来たのだった。
それでも、焦燥感から解放される日はない。
相変わらず進路の核心を突く質問は出来ぬまま、世間話に終始する私たちの関係を壊したのは、卒業という二文字が半月後に近付いた頃だった。
大石くんが外部受験をする、というような噂は頻繁に耳にしたものの、河村くんが進学をするとか家業を継ぐとかそういう噂は終ぞ耳にすることはなく、筋金入りの意気地無しである私も、さすがに自分でどうにかするしかなくなった。
もう当たって砕けるしかない。あとは卒業式を控えただけの、授業がなく学校に行かずにすむ日々が待っている。
皆が待ち望んでいるはずのその日々を疎ましく思い、河村くんのことばかり考えて悶々とするのは嫌だ。
そう考え、河村くんを呼び出した放課後。
「好きでした」とか細い声で伝えた私を、河村くんは苦しそうな表情で見詰めた。
―――あぁ、やっぱりフラれるんだなぁ。
そう憂えた私に、「過去形で残念だよ」と、私の告白に負けず劣らずか細い声で河村くんは言った。
しばらく意味が解らず、場違いにも「・・・・・はぁ?」と間抜けな声を出した私に、彼は困ったように説明してくれたものだ。
「好きでした、ってことは「昔は」っていうことだろう?・・・・だから、残念だなぁって。もっと早く勇気を出せばよかったよ」
頭の回転が速くない私が彼の真意を理解するには、ちょっと時間が必要だった。
けれど、それが婉曲な告白であると解った瞬間、あまりのことに昇天するかと思った。
月並みな表現だけれど、今なら死んでも本望だと、本気で思っていた。
ちょっとした勘違いを越え、めでたくお付き合いが始まるのと共に、私たちは大学生になった。
何事も経験、大学で勉強したことは必ず社会に出てから役立つ。
河村くんのお父さんはそう主張し、河村くんは大学部へ進学することになった。
いずれお店の経営をすることになるから、という理由で経済学部を選んだ彼と違い、英文学部を選んだ私の理由は英語が好きだから、と酷く単純だった。
河村くんとの付き合いは順調で、幸せだった。
底無しに優しい彼とは喧嘩すらすることがなく、二人の関係に波風が立つことはなかった。
せいぜい私が勝手に怒って彼を困らせるくらいで、私の怒りも誠実な河村くんの前では長くは保たなかった。
そもそも、怒りの原因も会えないのが寂しい、とか人が訊いたらノロケ以外の何物でもないようなものだ。
幸せな交際期間が続き、気が付けば、就職活動が目前となっていた大学3年の春。
セミナーやら学内企業説明会など、実感がなくとも就職を意識せざるを得ない状況だった。
自己分析をして、自分が何をしたいのか明確にすることを通じて志望動機に繋げろ―――セミナーの講師は簡単に言うが、自己分析というものは因果なもので、すればする程「私って何?」と自分のことすら解らない自分を痛感する羽目に陥る。
もしくは「自分、何もいいとこないや・・・・」と乾いた笑顔で落ち込むかどちらかだ。
夏が過ぎ、実際就職活動を始めてみると、社会の厳しさをまざまざと思い知らされることとなった。
何が正解なのかも解らぬまま挑む面接の通過率はめっぽう低く、自信と精神力をジワジワ消耗するばかり。
初冬の頃、最終面接で立て続けに3回お祈りされた時はガッツリ落ち込んだ。
お祈りと言えば、家業を継ぐ為に就職活動をしない河村くんに「またお祈りされた!」と愚痴を言った時に意味が解らぬ彼に「お、お祈り?何で?」と慌てながら問われたことがある。
何故彼が慌てていたのかというと、祈る=宗教の勧誘だと思ったかららしい。
「・・・・・河村くん、よく勧誘されるの?宗教」
人の良い河村くんらしい発想だな、と思いながら問うと、河村くんは困ったように眉尻を下げて曖昧に笑い、返事を誤魔化した。
「その――祈られた、ってどういうことなんだい?」
意味が解らないよ、と尋ねる彼に、「それはね」と解説を試みる。
「不採用の通知の文末に、必ず『○○さんのご活躍をお祈り申し上げます』とか、そんなような文句が書かれてるのね。で、それを皮肉って、お祈りされるって言う訳」
もう拝まれすぎて神になりそう、と定番の愚痴を漏らすと、河村くんは心底困ったという顔をした。
半笑いのその表情から、慰めたいけれど、就職活動をしていない自分が口にする慰めでは相手が不快に思うのではないか――という躊躇いが読み取れる。
伊達に小等部から一緒に居ない、河村くんの感情の機微は大まかだが何も言われなくとも解る。もっとも、逆もまたしかりなのだろうけれど。
そう、それこそ羨ましいと思ったこともある。
子どもの頃から進路が決まっていた河村くん。
就職活動をしなければ、と自分のやりたいことを急に探し始めて、それでも何かピンとこなくて、でも無理矢理見付けるしかなかった私とは大違いだ。
それに、彼には家業がある。就職先が見付からない、なんていうことがないのだ。
新卒ですら就職難であるこのご時世、就職先が実家ある彼をズルイと思ったこともある。
けれど、そんな思いを吹き飛ばしてくれたのは河村くんだった。
自己分析をしても自分が見付からない、無理矢理見付けたやりたいこともピンと来ない、皆しっかり地に足付けて就職活動を行っているのに自分は何だか中途半端で、皆が就活してるからとりあえず自分もしなきゃ、なんてその程度でしかない気がする――。
そう愚痴をこぼしながらカフェオレを啜る私に、河村くんは困ったようにはにかみながら、こう言ってくれた。
「何もない、ってことはないよ。何もないっていうのは、そこから何でも選べるっていうことと同じことじゃないか。は、これからいくらでもやりたいことを見付けることが出来るんだよ」
他の人に言われたら、「見付からなかったらどうするのよ!」と怒鳴っていたかもしれない。
でも、河村くんの言葉は、あの時と同じように、不思議なくらい私の胸に響くのだ。
いくらでもやりたいことを見付けることが出来る。彼の言葉に、視界がサァッと開けた。
「は、真っ白なキャンバスみたいなものなんだよ」
どうしてこの人はこんなに、私を感動させるのが上手いんだろう。
潤んだ視界の先では、ワタワタと慌てる彼が居て、何故だかとても可笑しかった。
何となく、英語が好きだし、英文学部だし、という理由で英語に携わるような仕事を選んでいた私だったけれど、河村くんの言葉で就職活動が変わった。
金融関係に目を向けるようになったのだ。
もし、近い将来河村くんのパートナーとなることが出来たなら、彼の仕事を支えられたら素敵なんじゃないかしら、とかおめでたい考えから見るようになった金融業界だけれど、地元銀行などは思った以上に地域密着型で、細かなサービスが魅力的な良い企業だと気付くことが出来た。
河村くんのあの言葉がなければ、地元銀行の素敵さにも気付かないままだったかもしれない。
そんなことを思いながら、地元銀行に勤める先輩にOB訪問をさせていただいた時のことだ。
彼女は「本当は婿を取って家業を継げ、って言われてたんだけどね」と話を切り出した。
「――家業、って?」
「私の実家ね、小さな街の電機屋さんをしているのよ。でも、家電量販店には安さでは敵わないし、経営もなかなか厳しくてね」
困ったように、頬に手を添えながら先輩はこう言った。
「本当は継いであげた方がよかったとも思うんだけどね。でも、あの頃の私には、就職先を選べない、敷かれたレールを歩く、っていうことが酷く苦痛だったのよ」
俺は寿司屋になる、と昔から河村くんは言っていた。
だから、彼が先輩と同じような考えだったことはないかもしれない。
けれど、もしかしたら。家業さえなければ、テニスを続けられて、いくらでもやりたいことを見付けられて―――そんな風に、河村くんが思ったこともあるかもしれない。
愚痴をこぼさない彼だから、ただの邪推にすぎないかもしれないけれど。
何もない、真っ白いキャンバスと、既に寿司屋という色でいっぱいのキャンバス。
ある意味、正反対かもしれない。
でも、かの有名な詩人が言ったように、みんな違ってみんないいのだ。
先が見えない、始まったばかりの就職活動。
グチグチしてばかりの私だけれど、真っ白いキャンバスに色を載せられるように頑張ろう。
そうしていつか、彼が私にそうしてくれたように、河村くんが迷った時に、彼の視界をサァッと開いてあげられるような存在になっているといい。
その為には、この関係が末永く続くようにしなければ。
今のままでも十分だけれど、それではマンネリ化してしまうかな、とも思うから。
まずは、「河村くん」「」という名字呼びを捨てるよう、呼びかけてみようか、と思う。
―――今度から、「」って呼んでもらえない?
何気ない言葉に、隆くんがコーヒーカップをひっくり返すことになるのは、少し先の、また別の話だ。